すげえ写真家がやって来た。

 銅版画の林由紀子さんから電話。神田神保町文房堂で坂東壮一氏に遭遇したと。ケモノ道だ。じっとしている私はノケモノ道か。

 昨日買った岡井耀毅(てるお)「瞬間伝説 すげえ写真家がやって来た。」にワクワクする。
「この一冊の本に点綴し凝縮した文章は、写真家の感性を通して結晶する『瞬間』の一枚の写真の背後や周辺にただよう、いわば写真そのものには直接現れてこない『隠された事実』である。」
 読んでみるとこれがじつに面白い。写真よりもその背景に興奮させられるとは。薄っぺらなページに印刷された一枚の白黒写真が、ある物語の結末としての相貌を見せてくる。物語の余韻のなかにぐっと立ち上ってくる。まあ、文章を読む前に写真に目を奪われて、それから文章を読んだのだけれど。写真に真っ向勝負で立ち向かっている。見事だ。俎上に上がっている21人の写真家で全く知らない人が9人。その未知の写真家の一人、杵島隆の写真「東京丸の内明治生命ビル表門 1958年」に目が釘付けになった。西洋近世風に凝った装飾の豪勢な扉を背に肉感的な裸の女性が俯いて立っている。ただそれだけなのに圧倒的な訴求力。連想したのがヘルムート・ニュートンの白黒写真「オルセー桟橋のマヌカンIII 、1977年4月パリ」。こちらは豪勢な室内で、毛足の長い絨毯に俯伏せに横たわる、ハイヒールを履いた裸の女性と、その傍らで彼女を見下ろすパンツルックで右の乳房を露にした年増のマダム。凄く官能的退廃的な写真だ。が、それから20年ほど前に撮られた杵島隆の写真には官能性も退廃性も乏しい。けれどもそこには瑞々しい青春性が漲っている。さらには青春の挫折への予感さえ感じてしまう。岡井耀毅のエネルギッシュな文章で制作背景、個展の反響を読むとじつに感慨深い。写真が再び生き生きと躍動し始める。まさしく「瞬間伝説 すげえ写真家がやって来た。」