八十八夜

 きょうは八十八夜。我が畑の茶摘は天候不順により明日へ延期。
 昨夕、知人が疲れた風な彫刻家を連れて来館。彫刻家は明治の一恵斎芳幾の木版画「東亰両国川開之図」にえらく興味を示し、それから明治の木版口絵に話題が広がり、結局午後八時半まで三人で語り合ってしまった。彫刻家曰く「元気が出ました」。そりゃよかった。こちらは少々疲れました、はい。

 昨夜のテレビ朝日ニュースステーション」、某殺人事件の報道で「初老の57歳」という発言。そうかあ57歳は初老かあ。ジジイかあ。あと半年で私もジジイ一年生かあ。ちょっとガクッとした。先だって届いた電子メールで37歳の女性が「すっかり中年の域に達してまいりましたが」とあり、そうかなあ???と疑問符を付けたかったけど、20歳の男子から見れば、20歳近くの年上なんだから「オバサン」と思うか。しかし、オバサンと見られるか「大人の女性」と見られるか、では大違いだ。
 先だって、30過ぎの女性から、私はオヤジ化してないと言われたけど、これって褒め言葉なのか、まるで未熟ということなのか。物事には表と裏があると実感しきり。
 歌人塚本邦雄は「大器晩成」にはもう一つ、死んでも大成しない「破格の大器」があるという。いやあ、そうありたい。しかし、破格の小器で終わりそう。

 きょう福島県から来館された方は、ビュフェ美術館のミッフィ展を観に来る準備でここを知り、ついでに来館。未知の画家味戸ケイコにハマッタ感想を述べられ、「あのこがみえる」を購入された。また来たいと仰る。印象の強さ感動の深さは、展示規模ではなく展示内容で決まる。嬉しい。彼はやなぎみわを連想したと言う。へえ〜。想定外だ。