驚心 響心(閑人亭日録)

 昨日、響震という造語が北一明の作品から浮かんだが、語呂合わせのように、響心という造語が浮かんだ。心に深く響く絵・・・それは味戸ケイコさんの絵。優れた美術作品は鑑賞者の心に響く。味戸ケイコさんの画集『かなしいひかり』講談社1975年刊に出合って半世紀ほど。最初の衝撃は今もって生々しく思い出される。「こんな凄い心惹かれる絵があるんだ!」。未知の絵画との遭遇。人生を方向づけた一冊の画集。驚き、心が様々に反響し合う。驚心そして響心。画集との出合いから十年、1985年の夏、銀座から少し離れたギャラリーさんようでの初個展で味戸さんに初めてお目にかかった。気に入った絵を二点購入。それから東京での個展には多分全部行った。作風は少しずつ変わっていった。初期の絵により惹かれるな、と思った。けれども新作を購入したこともあった。今顧ると、初期とその後とは作風はたしかに変化しているが、それは画家にとっては当たり前のこと。その画風が人気だから、と初期の画風に固執していれば、マンネリ化は免れない。そしてファンからは飽きられる。味戸さんは決して器用な画家ではない。愚かにも今にして気づくのだが、作風の変化は、味戸さんの人生の変転の反映として現れている、ように感じられる。時代が変わるように味戸さんも変わっていく。それが当たり前、何ら不思議ではない。作風は少し変化しても、味戸ケイコの絵の本質的魅力は変わらない。時を措いて鑑賞すると、衝撃を受けた初期の絵と後年の絵の緩やかな拡がりと静かな深まりに気づく。最近の絵に絵画の風格をさりげなく感じる。初期の鋭く瑞々しい魅力。人生を歩んできた後年の緩やかな芳醇。味戸さん自身は気づかないだろうが、そこに他の画家では描き出せない独自の品位、芳しさが感じられる。密やかに響心を呼び起こす、何とも得難い作風だ。