真白き富士

 富士山は昨日の雪で厚化粧。も、美しい。
 昼前、東京の画家中村陽子さんから電話。沼津市吉田町の高砂画廊で、きょうから秋山祐徳太子の個展があるので、行ってみませんか? というもの。昼食後、教えてもらった住所をたよりに自転車で出かける。二十分ほどで到着。主人と客と四方山話をしていると、秋山氏から沼津駅に着いたと電話。主人が迎えに行く。秋山氏に久闊を叙し(といっても顔見知り程度)、少しお話をして戻る。

 ブックオフ長泉店、105円棚に本が大量入荷。というより半額棚から落ちてきたのかな? 久しぶりに買った買った気分。大江健三郎「二百年の子供」中央公論新社2003年初版帯付、小林英樹「ゴッホの遺言」情報センター出版局1999年2刷帯付、二階堂黎人「増加博士と目減卿」原書房2002年初版、西澤保彦「いつか、ふたりは二匹」講談社2004年初版函付、プーシキン「エヴゲーニイ・オネーギン」講談社文芸文庫1998 年初版、ブラントーム「好色女傑伝 上・下」講談社文芸文庫2002年初版、計735円。ふう、重い。けど、自転車だからなんともナシ。小林英樹「ゴッホの遺言」は知人から借りて読んでいる。面白かった記憶。

 静岡新聞昨朝刊、塩野七生「イタリアに住む」のお題は「お金について」。
「第一の条件は、必要不可欠なものには使わないこと。」
「条件の第二は、限度を超えてないこと。」
「第三の条件だが、人によって好みがちがうということを知って行動することである。」
「そして条件の最後だが、こうして買ったからには、そのまま仕舞っておくのではもったいない。浪費による愉楽の最後は、見て愉しむ、にあるのだから。」
 たしかに。きょう買った古本は、全部本棚に並べていつでも眺め手に取ることができる。ああ、735円、浪費しちゃった。愉快愉快。
「人生には、ある程度の無駄が必要だ。無駄をしないと、ほんとうに有益なことさえもできなくなる。」

 このエッセイの隣には永田和宏による「寺山修司歌集『月蝕書簡』を読む」。
「私はタッチの差で寺山修司とすれ違った世代である。」
「『君にあう以前のぼくに逢いたくて海へのバスに揺られていたり』という私の第一歌集中の一首は、そのころ作られたものだが、そこには寺山の影響は紛れもない。」
 と結ばれている。へえ〜、私の愛唱歌が。