一九○○年続き

 塚本邦雄「夕暮の諧調」収録「異端者の系譜」で小説の稲垣足穂も一九○○年の生まれと知った。気になってほかを調べると、小説の牧逸馬(別名は谷譲次林不忘)もそうだった。一九○○年はモダーンな作家の当たり年か。

 塚本邦雄の単行本は二十冊近く持っている。最初に購入した「塚本邦雄歌集」白玉書房1970年と続いて購入した初評論集「夕暮の諧調」人文書院1971年の二冊で十分かな、と当時直感したけれど、処女歌集から第七歌集までをまとめた前者と後者の評論集に、塚本邦雄のエッセンスが詰まっていると、今でも思う。翻っていえば、この二冊は絶対に外せない。後者は改定補筆した定本が出版されていた。その違いを調べ味わうのも一興。自分はしないけど。ここまで書いて、はたと気づいた。塚本邦雄をはて、何人がご存知か。それはさておき、上記「異端者の系譜」から抜書き。

 政治のための芸術、人間のための芸術、芸術のための芸術、およそ何々のためのという前提をすてさった時、芸術は始めて裸にされ、孤立無援の状態でたちすくむ。効用性を放棄し、奉仕を拒み、コミュニケーションを無視して、なお存在理由をもつもの、その、社会から禁じられた、直接には何の力ももたず、無用の錯覚すら与えるものこそ、芸術の一つの純粋性ではなかったか、と稲垣足穂の諸作は反問しているのだ。

 知人から金木犀の香り、というメール。返信には塚本邦雄の短歌を。

  金木犀 母こそとはの娼婦なるその脚まひるたらひに浸し

 ブックオフ長泉店で二冊。松沢呉一「エロ街道をゆくちくま文庫2003年初版、ジャン・コクトー「大股びらき」福武文庫1989年初版、計210円。