居心地がいい

 昨日来館したベテラン商業写真家が「居心地のいい空間だった」と感想を述べたことを人づてに聞く。うれしい。

 小沢昭一「ぼくの浅草案内」ちくま文庫2001年で、永井荷風の説、踊り子たちは家庭に入るとダメ女になる、に異論を唱えている。

「『手にとるな、やはり野におけれんげ草』はわかる。だがれんげを野において逃げるなら、その逃げる理由を女のせいにしないで、自分の中にみつけてもらいたかった。」195頁

 胸熱く共感、本棚から小沢昭一「ドキュメント 綾さん」新潮文庫1983年を持ってくる。副題は「小沢昭一が敬愛する接客のプロ」。パラパラと再読し、山口昌男の解説を読む。筑波大学での国際会議「見世物の文化人類学」での小沢昭一の講演「トルコの世界」をかいつまんで紹介している。

「日本のトルコ風呂というのは近代において発達したサービス業であるが、トルコ風呂におけるサービスが、如何に演劇的な意味で細心の注意を払って演出されているかということを話した。小沢さんは、トルコ風呂は周知のように入浴だけをするところではない。一時の時間の間、トルコ嬢が限られた空間を演出し、客の心理を充分に考慮に入れたコミュニケーションを展開する場であることを、例を挙げて説明した。客も、日常生活では、殆ど持つことの出来ない気くばりに満ちた対話と応対を期待し、充分に満たされて帰っていく。入浴と、性的な面に関するサービスの間に実に豊かな相互交渉(インターアクション)と今日社会学者が呼ぶ社会的コミュニケーションを期待することができたと説いた。」

「小沢さんの話が終ったとき、大へんな反響が起った。ヴィクター・ターナをはじめとする世界の著名な学者達は、社会的コミュニケーションについてこれ程ヴィヴィドな話を聴いたことはないとか、娯楽について、その演劇的な側面の話として面白いと言い乍(なが)ら、名優にして名教授小沢昭一さんを囲んで、サインまでねだる学者も現れた。」

 季刊「藝能東西」連載をまとめたものと知り、戸棚の奥から「遠花火号」1977年を取り出す。「トルコの思想 綾さんの世界」という連載だ。この号は「ストリップ大特集」。「ぼくの浅草案内」で「私が岡ぼれで通いつめていた清水田鶴子なる踊り子」の写真がこの号にある。可憐な女性だ。うーん、見たかった。

 ブックオフ長泉店で一冊。京極夏彦邪魅の雫(じゃみのしずく)」講談社ノベルス2006年2刷、105円。