丸谷才一「輝く日の宮」講談社2003年初刊を読了。源氏物語から失われたといわれる一帖「輝く日の宮」の存否を巡る研究・論述とその人間模様を描いた小説といえばいいか。1958年生まれのヒロインが中学の時に書いた短篇から大学教師として研究をする四十代までを描いている。
小説冒頭の短篇は泉鏡花ばりという評言が後にあるけれど、私は一読久生十蘭を連想した。なにより小説全体から連想したのは伊藤整の短篇「文学祭」だった。これは「日本短篇文学全集33」筑摩書房1968年初刊で読んだのだけれど、「鑑賞」が丸谷才一。
「短篇小説のなかで最もいいのは『文学祭』だというのは、ぼくの昔からの意見であった。そしてぼくはそれにつけ加えて、これはひょっとすると戦後の日本の短篇小説のなかでも有数の佳作かもしれないなどと思っているのだから、この巻にその『文学祭』が収められていることはたいそう嬉しかった。」
「だから、『文学祭』のような作品をぼくは喜ぶことになるわけだが、この傾向の仕事を近頃の伊藤はなぜかやりたがらない。残念なことだと寂しがっているのは、ぼく一人ではないはずである。」
丸谷才一はそれでは、と「輝く日の宮」で「文学祭」の衣鉢を継いだ、と私は考えている。