同じ命日(閑人亭日録)

 唐十郎寺山修司の命日が同じ5月4日とは驚いた。 https://news.yahoo.co.jp/articles/9e0465acb57199a17721bfb37ad1111f4acb2d32
 1970年前後、アングラ劇団の双璧として状況劇場天井桟敷が競い合っていた。新宿花園神社の状況劇場、渋谷駅南、東横線から見えた天井桟敷館に行ったことはないが、大学に出張公演した状況劇場は観た。大学構内の広場に設置された赤手テントの地面にしゃがんで観劇。演劇内容よりも四谷シモン女形に魅了された。脇を通った四谷シモンの足が私にちょと触った。彼はさらりと謝った。その一言が今もって記憶に鮮やか。寺山修司に会ったのは、語り女・松田晴世のバックバンドの名前を寺山が考えてくれたお礼を言に行く松田晴世に同行して新宿紀伊国屋ホールで寺山に会った。麻布に引っ越した天井桟敷館には、松田の公演を観に行った。
 https://sound.jp/haruyo/
 中井英夫は、歌人寺山修司を世に送り出し、葬儀では弔辞を読んだ。中井英夫『月蝕領崩壊』立風書房 1985年4月27日 第1刷発行、「五月二十日 金 ハレ」から。

《 幻想文学の森君、きょうでなく、二十二日日曜に七人連れてくるという。もうファンはたくさんなり。けさも京都の女性から、寺山の次に私の頬を打ったのはあなたですなどと愚かチグな手紙、知るか。
  あと三島のK君、これはいつもタイミングよく、おれがシケこんでいるとき慰めてくれる青年なれど、いきなりテワした来訪。庭でと思うもハエ多くて閉口。またもや鈴木君に椅子とテーブルを出したり入れたりしてもらう。残んのバラ、一応美しい。 》 153頁

 みんな鬼籍に入ってしまった。家の前は歩行者天国。抜けるような晴天の下、家族連れでとても賑やか。