二十年後

 O・ヘンリの短篇「二十年後」を連想した。川崎市の大学を卒業して二十年後に再訪したら、街の風景が一変していてビックリ仰天と女友だちが述懐。彼女はバブル期前に卒業。アルバイト先の喫茶店からストリップ小屋の楽屋へコーヒーを届けに行くと、なんとも寂しい眼で受け取った同世代のストリッパーたち。小汚いを通り越して「日本一汚い」と彼女が言う低俗だけれども憎めない繁華街は、バブル期の地上げ〜再開発の津波に呑まれて跡形も無く消え去った。学生時代、私が四畳半風呂なしアパート住まいをしていた場所、東京は板橋区大谷口の水道タンク。それは給水塔マニアの方から頂いた写真にしか残っていない。道路も拡張されたらしい。行きつけの銭湯は? 中華料理屋は? 焼き芋屋は? 卒業から三十五年、ふと再訪したくなる。

 昨日触れたマイク・モラスキーの連載、ところどころを読み返す。担当教授の当時の言葉が記憶に残る。

学生運動に挫折した者は女に走るか、ジャズ喫茶に入り浸るか、そのどちらか。」

 女に走った知人たちにたいして私は後者。ジャズ喫茶だけが居場所だった。ジャズ喫茶の店内の記憶だけはいまだに鮮明だ。 Pit in 、DIG 、SWING 、音楽館、BED 、さんじぇるまん、DUET、響、DOWN BEAT……店名が紛れも無い記憶のパラパラマンガを作る。あれから幾星霜。なんとか生きてきた。きょうは雨水。