舞蹴るや

 昨日の「吟遊星」編集後記には「目当ての岩波版日本古典文学大系『川柳狂歌集』を購入。」とある、その本を本棚から抜いて目を通す。たしかに狂歌作者の名前のほうが面白い。門限面倒(もんげんめんどう)、津無坊早耳(つんぼのはやみみ)、糸瓜皮也(へちまのかわなり)、一升夢輔(いっしょうゆめすけ)、多田人也(ただのひとなり)、根香来無器用(ねからぶきよう)、加陪仲塗(かべのなかぬり)、於保曾礼長良(おほそれながら)、朝寝昼起(あさねひるおき)などなど。

  ぬかるまいと思ひながらも踏こめば足の抜けぬが恋路なるらん

 袋町入隅(ふくろまちいりすみ)の狂歌などが並ぶが、名前や狂歌よりも痛快なのが、浜田義一郎の校注。

「単純ながら佳作だ。」
「技巧をこころみた稚拙な作。」
「極めて平凡な着想。」
「つまらぬ歌。」
「風流だが狂歌らしい趣に乏しい。」
狂歌的な要素がまったくない。」
狂歌の本質を失う一例。」
狂歌としてのおもしろさが全くない。」

 向かうところ敵無し容赦無し。大したものだ。で、マイケル・ジャクソンが急死したので一句。狂歌ではなく川柳のつもり。

  舞蹴るや 弱尊仏に 梅雨の音

 オソマツ。そういえば、彼の音楽、まともに聴いたことがない。音盤もない。