日本の漢詩文

 放心の目につづくもの秋の空。投票を済ませて美術館へ。

 小西甚一「日本文学史講談社学術文庫1993年3刷を読書中。昨日取り上げた網野善彦「日本の歴史 00 『日本』とは何か」が痛烈な本だとすれば、これは痛快な本だ。「第三章 中世第二期」から。

「中世における謎の存在としていわゆる五山文藝がある。十三世紀から十六世紀にかけて、禅僧たちの作った詩文をさすものだが、分量においては莫大なもので、ひとわたり眼をとおすだけでも、わたくしならば、たぶん十年以上を要するだろうと思われる。しかも、それが文藝としてどれだけの価値をもち、どのような史的意義をもつかについての研究は、従来、まったくなされていない。もちろんわたくしの力の及ぶところではないから、巨大な堆積にすぎないのか、あるいは真に瞠目すべき金字塔なのか、疑問を残して、いまはその分量を語るにとどめておく。」

 この「日本文学史」の初刊は1953年、小西甚一の畢生の大作「日本文藝史」(1985-1992)第三巻、「中世第二期の達成」「『理」の表現」「漢詩文の再興」で義堂周信、絶海中津が扱われている。

「絶海の詩は、音声的にも美しい。」371頁

「絶海は、まさに五山詩壇の第一人者だと考えざるをえない。しかし、わたくしは、絶海がシナ詩壇でも一流だったと認めるわけでなく、二流でありえたか否かさえ疑う。それは、絶海の詩に主題の重みが不足するからである。」

 「絶海が九年間にわたりシナで生活した」のに、この有様。ウーム。小西甚一はイギリスの詩を交えて論評。寺田透「日本詩人選 24 義堂周信・絶海中津」筑摩書房1977年初版を眺める。それから毎日新聞2005年の書評を手にする。辻原登・評「杉下元明『江戸漢詩 影響と変容の系譜』」。

「長い間、それはそれは長いあいだ、漢文・漢詩が教養の核であったことは確かであり、その間に培われた世界は『文明』の名に値した。」

「欧米文明脈派の手すさびの漢文・漢詩鑑賞ではなく、志は高く真っすぐで、正統(アカデミック)で、精密かつ詩想豊かな書である。」

 富士川英郎「江戸後期の詩人たち」筑摩叢書を眺める。フーム。ここでお遊び。上の引用を踏まえて。以下の○○にはどの洋画家が当てはまるでしょう。

「○○は×年間にわたりフランスで生活した。○○は、まさに洋画壇の第一人者だと考えざるをえない。しかし、わたくしは、○○がフランス画壇でも一流だったと認めるわけでなく、二流でありえたか否かさえ疑う。それは、○○の絵に主題の重みが不足するからである。」

 ネットゲリラ氏のサイトに国会議員候補の街頭演説にシャギリが出たという記事。きのうの斎藤に続いて今度は細野かあ、と呑気に晩飯食っていたらシャギリが始まって面食らったわ。コメント欄のかなまら祭り、すごいなあ。

 ブックオフ長泉店で二冊。岸田秀「性的唯幻論序説 改訂版」文春文庫2008年初版、嶽本野ばら「ミシン2 /カサコ」小学館文庫2008年初版、計210円。