地震は続くよ

 昨夕、帰りがけにブックオフ長泉店で単行本を四冊。浅田次郎壬生義士伝(上・下)」文藝春秋2000年初版帯付、斎藤純「銀輪の覇者」早川書房2004年2刷、東野圭吾流星の絆講談社2008年3刷帯付、計420円。

 昨夜、また揺れたのでテレビをつけて九時のNHKニュースを観ると、ロシアの宇宙船ソユーズの話題。なんと1975年の設計とほぼ同じ宇宙船で今も飛行するという。そんな古い設計技術で! ところが、古いものでも安全なもの、いいものは変えないという思想に基づいているという。資金繰りの理由もあるけれど、これには目を開かれた。新しい技術に無闇に飛びつくのではなく、いいものはずっと使い続ける。これは今の日本にも必要なことだ。オーディオしかり、美術しかり。

 一昨日、開催中の三人展に蔵書票を主に制作している銅版画家 林由紀子さんが、アルフォンス井上の蔵書票を持ってこられた。盛り上がったので、書棚から「月刊美術」1995年7月号の蔵書票特集を取り出す。蒲地清爾の蔵書票でまた盛り上がる。その号の「岩田栄吉特集」でまたまた盛り上がる。岩田栄吉。私の大好きな油彩画家。林由紀子さんも大好きな画家。1977年の銀座での個展で一目惚れ。手元にはその時の画集と「みずゑ」 923号1982年の追悼特集がある。渡辺守章の追悼文から。

≪高度成長以後の日本では想像もできないような物質的貧しさのなかで、夜毎、たとえばマルローの『フェルメール全作品』を共に開いては交す議論は、そのまま旅先の美術館で、現実の画布を前にした反省と瞑想へと繋げられて、単にフォルムや色彩の領分に留まらず、ほかならぬマチエール(傍点:引用者注)の聖変化とでも呼ぶべき作業の場へと、私の目も開かれていった。事実、岩田が魂を奪われたフェルメールをはじめとするこれらの絵は、近代的自我の主観性の表現あるいは誇示であるような作品とはまったく位相を異にする地平で、まさしく絵画そのものとして屹立しているような画布であり、人知と職人芸の技を尽してしかも本源的な自明性のうちに自ずから成立しているかのような小宇宙であった。≫

 きょうは埴谷雄高生誕100 年。「死霊」を再読したくなった。藤枝静男「空気頭」講談社1967年を読了。ビジネスガールなる言葉が使われている。先に読んだ舟橋聖一「好きな女の胸飾り」にはBGなる言葉。BG=ビジネスガール。それがOL=オフィスレディになり、キャリアウーマンに。ガール〜レディ〜ウーマン。