庭の美しさ

 夢はよく見るけど、起きてしばらくするとほとんど忘れてしまう。今朝のは忘れなかった。近所の菩提寺の大広間(は、実際にはない)で大勢の信徒が一つの輪をつくって座している。一人ひとり順繰りに一発ネタを披露している。え、聞いてないよお、と焦る私。乏しい記憶からなんとか搾り出す。

《 あの先生、評判がいいけど、鉄道マニアだな。

  その理由は。

  話が脱線しない。》

 冷や汗ものの夢だった。

 夏の前触れの暑い天気。川辺や公園に行って涼みたい。獅子文六『自由学校』に浜離宮庭苑を訪れる場面がある。

《 二十円払って小砂利の道を踏んでいくと、壊れかかった大名門だの、伸び過ぎた芝草なぞは、敗戦維新史を物語るに十分だが、池と、橋と、松と、築山の庭園美は明治時代の技師の設計した、日比谷公園あたりと、やはり、品格がちがう。》 350頁

 重森完途(かんと)『庭の美しさ』現代教養文庫1959年初版61年10刷、冒頭「庭について」にこうある。

《 明治以降の日本庭園は、日本庭園史上まれにみる暗黒の世界だったといえる。では、戦後の庭園はどうであろうか。これも混迷の一語につきる。あるものは、日本庭園の形式だけの郷愁のものであり、またあるものは、一九ニ○年代の欧米庭園のエピゴーネンにすぎない。》6頁

 最初からすごいことを書いている。読んでみた。いや、面白い。見開き左面に庭園写真が、右に文章が配されて120頁ほど。じつにわかりやすい。

《 次に、苔であるが、苔をフォルムとして構成するとき、平面のパターンとして形、色彩、触感を生かして、感覚的に訴えるように使用されている。平面のパターンといっても、単なる平面ではなく、地表の高低凸凹を作家の設計によって立体的に変化させ、これに鮮かな色彩をかぶせる場合が多いのであるから、苔も平面的文様にだけ終始している訳ではない。》70頁

《 それを作りあげた技術の優秀さはいうまでもないが、技術のいいものだけが、傑作の美術品として残っている場合は少ない。永年の間ひとびとに感動の波を浴せてきたものには、その時代の一番新しさを持った作品ばかりである。庭園とて同様である。古庭園といっても、その庭園が古いというのではない。古いというのは、時間的な古さにすぎない。内容の新しさは、直接近代の造形につながってくるものばかりである。》90頁