牧村慶子さんは、10日(木)お昼ごろ来館予定。
一昨日の日録から。
《 現代アートの大部分は、ある意味で大道芸と重なると、私は考えている。》
その続き。大道芸も街中の現代アートも、日常の風景に全く違った風景を生み出す。
大道芸 身体能力のはなれわざ→心の開放→元通りの風景・一過性
現代アート 異化のはなれわざ→精神の解放→未知の風景・持続性
大道芸は人を楽しませ、元気づける芸。楽しい思い出。現代アートは、そこから先に進む。街が変わって見える。触発されて人が街を変えてゆく……。そこまで進めば万歳。だが、お手上げ〜だろう。椹木野衣氏が書いている。
《 アートの力を借りることは、街が積極的にみずからを変えようとする姿勢なくしてはありえない。そのためには、受け入れる側にも、アートに潜在する未知の可能性に見合うだけの覚悟が必要なのだ。》
こうも言う。
《 が、これは日本で依然として多い、いわゆる「村おこし」的なアート・プロジェクト(いまある街はそのままで、粉飾的にアートを利用する)とは、一線を画する考えを必要とする。》
昨日、富士宮市から『第10回まちなかアートギャラリー』のポスターが届いた。趣旨。
《 富士宮市内商店街に、市内を中心としたプロの作家の作品を展示することにより、ご来店いただいたお客様に作品を鑑賞していただくこと、また、作家とお客様のコラボレーションをはかりお互いの理解を高め、まちなか文化を創出する。》
ネットの見聞。
《 経産省前テント広場に着いたら、大手メディアがたくさん集まっていて驚いた。有名人が来る時だけ取材しやがって、と大きい声で言ってやった。そして、寂聴さんがとどめの一言。「あなた達記者も、命をかけて報じなさい」》
ネットの見つけもの。
《 雲の峰死にたるときの本の嵩 神野紗希 》