昨夜は山を越えた気分、で、流離うユダヤ人の音楽、クレズマー Klezmer の楽師The Klezmatics を聴いた。
雑誌『芸術生活』芸術生活社1973年11月号特集「人形愛」を開く。ハンス・ベルメエルの関節人形の写真に添えられたポール・エリュアールの詩「人形の遊び」から。
《 彼女は虚無の返事をおそれる。物いわぬ唇の接吻をおそれる。 》
《 彼女(人形)はおびえる 虚無の応(いら)えを 物言わぬ接吻(くちづけ)を…… 》
雑誌『太陽』平凡社1999年8月号特集「人形愛 君の瞳に首ったけ」を開く。
森村泰昌「沈黙の美徳」から。
《 人形を見ると懐かしい気分になるのは、それが古い時代に作られた骨董品だからなのではない。見失われた「沈黙の美徳」の風景が、人形の背景に浮かびあがるからである。 》
鋭い賞賛と鈍い賞賛、鋭い毒舌と鈍い毒舌。そんなことをふと思う。磨きをかけなくては。しかし、内側から磨くといって、サプリメントを飲用する人がいるからなあ。
ネットの見聞。
《 ツイッターって、華麗にスルー技を使いやすいところが美点かなあ。20世紀の掲示板全盛期でズタズタになった者からすると、「なぜ返事しない」「逃げるんですか」連続攻撃があまり意味持たない空間は過ごしやすい。 》
《 昔は「日記」というものがあって、純粋な呟きのようなものを毎日ノートに書きつけ、机の引き出しにしまって鍵を掛けたり、それこそ日記帳自体に鍵がついていたりしたものだが、そこで書かれていたようなことの大方は、今やツイッターで日夜流出している。僕自身はといえば日記は3日と続かなかったが。 》