不在の騎士

 イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』河出文庫2005年初版を読んだ。甲冑の中は空っぽという奇想天外な騎士が主役の中世騎士物語。騎士をとりまく物語がしずしずと進む。後半は破天荒にぐんぐん進み、そして大団円。1959年の作。

《 「どうしたって、なに、存在する男たちみんなに対する欲望を捨て去ってしまったら、最後に残った唯一の欲望は、まるっきり存在しない男に対する欲望だけってことになるのかもね……」 》100頁

 男を女に替えれば、初音ミクに……。

《 単調一様なこの表面にごくごく微かな線が──針で紙の裏からすじを引くとできるような──浮き出て見えていて、しかもこの僅かな線、この微妙な緊張のなかに世界のひとしなみの性質、練り粉が詰めこまれ、滲みこんでいて、そこにこそ感覚が、美が、苦悩が、そしてほんものの衝突と運動がある、というのでなくてはならないのです。 》 162-163頁

 物語について書かれているのだけれど、絵画にそっくり通じる。

 東京では味戸ケイコ展、宇野亜喜良展そして内藤ルネ展が開催中。それに沼津市の牧村慶子展を加えると、時代の波を感じる。

 ネットの見聞。

《 「牛乳を注ぐ女」(一六五八〜九)のテーブルの形が変だなどという指摘があって、わざわざCGでテーブルを真っすぐに直した図像を作って美術雑誌に載せたりしているのを見たことがある。しかし、それは大きな誤解であろう。このテーブルの天板はもともと長方形ではないのだ。フェルメールのデッサンがおかしいのではない。 》

《 「眠る女」(一六五六〜七)に描かれた奥の部屋にテーブルが置かれている。台形なのである。おそらく(断言はしないが)これと同じテーブルにパンなどが載っている。そう思って見れば「牛乳を注ぐ女」には何もおかしいところはないだろう。 》