平野雅彦氏が15日のブログで牧村慶子さんを紹介されている。嬉しい記事だ。
イタリアの作家イタロ・カルヴィーノ『むずかしい愛』岩波文庫1999年7刷を読んだ。「ある兵士の冒険」から「あるスキーヤーの冒険」まで、十二編の「ある○○の冒険」を収録。○○には悪党、海水浴客、会社員、写真家、旅行家、読者、近視男、妻、夫婦そして詩人が入る。ちょとした偶然の出来事からさざ波のように揺れる心理と情景がありありと目に浮かぶ。どの短篇も映像化に向いている。
最も興趣を感じたのは「ある読者の冒険」。人気のない岬の滑らかな岩場で、男は日光浴をしながら読書にいそしむ。気がつくと、近くで若くもなく、とりたてて美しくもない日焼けした女性がセパレーツの水着で横になっている。
《 ふくよかではないが均整の取れた脚、最高にすべすべした腹部、不快感はあたえないだろうが弛み気味に思える薄い胸、幾分骨張った感じのする肩に首と腕、そして黒いサングラスと麦藁帽子のひさしに隠れた顔は、よく見れば聡明そうで、分別もあり皮肉な感じもかすかに窺うことができた。 》
《 「なにかお困りのことでも?」かれは訊ねた。
「本を読むのに厭きることはありませんの?」女がいった。そして「あなたのような方とはとても連れに向いているとはいえないわね! 女性と一緒のときには会話が必要だってこと、お分かりにならないのかしら?」とかすかに微笑みながら言葉を継いだ。 》
《 彼女の「服を着るわ、わたし」という言葉を耳にしたとたん、それはたちまちかれの頭のなかで「彼女が服を着ている間、ぼくのほうは邪魔されずに本を読めるぞ」という別の言葉に翻訳されることになった。 》
そして二人は……。草食男子と肉食女子はイタリアも日本も、五十年前も今も変わらない。
イタリアといえば、まずはミルバの Bella ciao だ。故郷ゴーロにちなんで「ゴーロの女豹」と仇名された彼女のこの歌に惚れて幾星霜。そしてもう一曲「愛遥かに Da troppo tempo 」にイチコロ。こういう歌が You Tube でお手軽に視聴できる時代になるとは、まさしく隔世の感がある。
ネットの拾いもの。
《 人魚は女性しかいないようである。
男の人魚、イマジンすると、なぜかムカつく。
胸毛がすごく生えてたら、石でも投げたくなる。
ホラー映画とかの半魚人は男ってイメージが強いよね。
人魚=女 半魚人=男
この男女の間に生まれる半魚人魚っていうのか、顔=半魚人、身体=人魚、
これはかなり怖いと思った。巨乳でも帳消しにならない。 》