油絵を解剖する

 ドナルド・キーン『日本人の美意識』、「日清戦争と日本文化」から。

《 明治二十六年(一八九三)、つまり戦争勃発の前年、日本の現代美術運動の創始者黒田清輝(一八六六 〜 一九ニ四)が、フランスから帰国している。 》

《 黒田は繰り返し、しかも公然と、大抵の日本の西洋画は無価値だ、と主張している。そして彼によると、その理由は当の芸術家が、スタイルの背後にある西洋文化を少しも理解していないからだというのだ。 》

《 明治二十九年、黒田は白馬会というグループを結成している。以後長年にわたって、日本の油絵界に君臨することになる集団である。 》

 九年も留学していれば、そりゃ西洋のことはよくわかるだろう。しかし、黒田清輝の油絵は魅力が乏しい、と私は思う。その理由の一端が、歌田眞介『油絵を解剖する 修復から見た日本洋画史』NHKブックス2002年2刷でわかった。以前にも書いたが、帯文がすごい。

《 高橋由一の魅力と  黒田清輝の不手際 》

《 黒田清輝の先生はラファエル・コランである。コランの油絵は漆かと思うほど丈夫であったことが、「白衣の女」(久米美術館蔵)の修復時に判明した。一方、黒田の留学中の油絵は、帰国後の作品より緻密な絵肌をしているが、耐溶剤テストをすると、色によっては石油系の弱い溶剤にも溶けてしまうものがる。コランを敬愛し、一生懸命勉強してきたのだろうが、油絵具の扱い方については、充分に習ってこなかったように思える。 》122頁

 和田英作回顧録が紹介されている。昭和九年(1934年)の発表。明治三三年(1900年)のパリ万博のこと。

《 巴里万国博覧会日本部の油絵出品は、黒田先生が日本へ帰られて、初めて日本婦人の裸体モデルを描いた、『智、感、情』という装飾風の三部作と蘆の湖畔に立つ浴衣姿の美人画『湖畔』をはじめ、(略)出品しました。 》157頁

《 審査の結果で黒田先生の『 智、感、情』は銀牌になりましたが、非常に弱い影のうすいものであることを感じて、これは一大事だ、我々は大いに奮発しなければ、油絵で世界を相手に互角の争いをすることは出来ないと、しみじみ感じたものでありました。 》158頁

 黒田清輝から岡鹿之助まで、油絵画家の不手際が科学的に解明されていく手順は、巻を置く能わず、の面白さだ。作品の歴史的意義とは別に、二十一世紀の視点から作品の魅力、価値を再検討することが必要だろう。いいと思わされている作品がいかに多いか。見逃されている作品のいかに多いか。大仰な金メッキ作品ではなく、小体な純金作品を。

 ネットのうなずき。

《 自己利益よりも公共の福利を優先的に配慮する「大人」が一定数いなければ、社会は保ちません。

  今の日本のすべての制度劣化は「大人がいなくなった」ためだと私は思っています。 》 内田樹

《 1993年7月12日の夜10時17分、北海道万世沖地震が発生し、奥尻島では津波で甚大な被害が出ました。夜のこのくらいの時間に津波が起きたら…と思うと改めて時間の選べない自然災害の恐ろしさを感じます。 》

 ネットの拾いもの。

《 トイレに座ってるとき揺れるのは怖い!  》

《 今まで「官僚・公務員の生活が第一」とする政党ばかりだったが・・・。 》

 首相官邸前デモ案内サイト。

《 「デモ」とも呼ばれますが、正式には「デモ行進」ではありません

  前に進むわけではなく、来た人から順に並んで抗議をします 》

《 いってみて「なんかちがう?」って感じたらどうしよう

  見物だけして帰れば OKです!  》