日本人の美意識

 昨夜のBS『極上 美の饗宴』の藤田嗣治戦争画は、穏当な内容だった。ヨーロッパで高い地位の歴史画への転換を図って、戦後藤田が戦争画のサインをアルファベットに描き替えたというのは初耳だった。藤田だけが戦争協力者として糾弾され、日本の画壇を見限って出国したことは軽く流されていた。

 ドナルド・キーン『日本人の美意識』中公文庫1999年初版を読んだ。金関寿夫(かなせき・ひさお)の「訳者あとがき」に同感。同じ箇所に感心している。

《 とにかくこの本の中には、日本の古典文学および文化一般についての、ユニークな指摘が満載されている。中でも一番私に興味深かったのは、日本の伝統演劇(能、歌舞伎、文楽)の中には、様式性と写実性とが、微妙なバランスにおいて両立しているのだという意見。 》 「訳者あとがき」

《 しかしなんといってもこの書物中の圧巻は、明治二十七、八年の日清戦役が、日本文化の諸分野に及ぼした影響を明かにした長編エッセイであろう。 》 「訳者あとがき」

《 日清戦争が日本の演劇界に与えた影響とは、一口に言ってみれば、一方では、同時代の出来事を写実的に描き出し得る近代劇への基礎を作り出したこと。そして一方では、歌舞伎を初めとする伝統演劇は、その機能として、専ら古典的レパートリーからの演目を上演するもの、と規定されたことであろう。 》「日清戦争と日本文化」

《 日清戦争中における錦絵の大人気については、すでに述べた。(略)浮世絵がいつ終末に達したかということを、割合正確に言うことは、不可能ではない。明治二十八年の秋、ある日の『読売新聞』は、錦絵の売行きが激減した事実を伝えている。戦争画の売行きは、もちろんもう退潮気味であった。ところが、いつもはよく出ていた役者絵さえも、「辛うじて一ぱい(二百枚)をさばく」のみであったと。以後版画は、再び広い売行きを見せることはなかった。 》「日清戦争と日本文化」

 その一年前の記事。

《 明治二十七年八月九日読売新聞は日清戦争の浮世絵が売れていることを伝える 》 永田生慈『資料による近代浮世絵事情』三彩社1992年初版

 たった一年で様変わり。今の政治みたいだ。

 江戸浮世絵の最後の残照を飾るのが、明治三十年(1897年)に出版された、楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ)の『真美人』36枚と『時代かがみ』50枚だと私は考えている。昨日版画店の東洲斎から届いた目録では、全部揃いで「刷良 保存良」、各々50万円と60万円。

 ネットの見聞。

《 あしたの官邸前抗議ですが、名称が「官邸前周辺」になっています。急激に参加人数が増え、実質全ての参加する人が、官邸前で抗議できない状況です。国会議事堂前には第二ステージを設けてマイクを用意します。官邸にその声が届くわけではありませんが、賛同する国会議員が発言する予定です。  》

《 森ゆう子参議院議員が国会で明らかにした野田政権での外国への資金提供14兆3000億円は禁断の数字。絶対に日本のメディアは触れない、報道しない数字。消費税大増税の必要性などの、すべての政府の大嘘が露呈してしまうからデス。広くネットで国民に知らせよう14兆円、どこから出てきたのかな。 》

 みうらじゅん東村アキコ山田章博らが京都精華大学客員教授に。

《 みうらじゅんコメント

 人と同じようなことをする時期が過ぎると、人と違ったことを考えなきゃダメだって思う時期がやって来ます。ほとんどやり尽くされてるような気がしますが、隙間は必ずどこかにあるもんです。今から見つける癖をつけておく。それが私の授業です。 》