先月下旬にスイスのダボスで開かれた世界経済フォーラム(ダボス会議)のテーマは「Resilient Dynamism (しなやかなダイナミズム)」だった。去年は「The Great Transformation : Shaping New Models (大転換=あらたな型式の創造)、一昨年は「Shared Norms for the New Reality (新たな現実に対する共有された規範)」。
書類を整理していたら、函底から昭和と思しき詠み人知らずの戯れ歌集のコピーが出てきた。題名は「土耳古(トルコ)の舟歌」。一部紹介。
《 暮れなずむ愛撫の街を流れゆく水や水草泡沫(うたかた)の恋
ふるさとは土耳古にありて思ふものかなしくうたうわが子煩悩
けぶりたつ靄の中にて吹かしあう法螺と尺八針小棒大
ゴムボートを女船頭漕ぎゆけば夢路ゆらゆら帆柱立てり
魅せられて孤独の指に写生する湯舟のほとを霞たなびく
よし原や薄の栄える堀の内泣かすお琴の弦のからまる 》
ネットのうなずき。
《 ひとつのかたちに固まらず、たえず「ゆらいでいること」、それが生物の本態である。私たちのうちには、気高さと卑しさ、寛容と狭量、熟慮と軽率が絡み合い、入り交じっている。 》 内田樹
ネットの拾いもの。
《 キリスト「どうしたのですか、石なんか投げて」 ファン「この人がアイドルなのに恋愛したのです」 キリスト「ならば、一度も恋愛したことのない者のみ、石を投げなさい」 ファンは皆、石を投げ続けた。 》