花鳥風月の科学・つづき

 松岡正剛『花鳥風月の科学』中公文庫2004年初版、昨日のつづき。

《 そこで花鳥風月的な気持ちの問題と、日本の社会的なしくみの変遷を同時に眺めるという新しい視点が必要になるのです。 》 19頁

《 しかし、自然界には光と物質の二つだけではなく、光とも物質とも、またエネルギーとも時間ともつかないつかないものがある。それが「情報」というものです。 》 107頁

《 たとえば「鳥」のワタリは鳥のなかの物質のせいではないし、「花」の開花も物質のはたらきだけでは説明ができなくなっている。すなわち、科学が生命体の複雑な現象に臨みはじめたとたん、そこには物質と物質の呼応をつなぐ「情報」のはたらきに注目せざるをえなくなったわけでした。これは、生命体を徹底的に分析し、その物質的要素のすべてがつきとめられたとしても、それを組み合わせてもけっして生命体をつくれないという事情にも由来する問題で、このことを科学者が反省しているうちに、そもそも生命は情報をもとにつくられているということがわかってきたのです。 》 393頁

《 畢竟、風はわれわれに最初にむこう(there)からこちら(here)への情報をもたらす見えないメディアなのです。 》 173頁

《 私は、日本の時間の源流が「ほか」に属していたのではないかと見ているのです。「時」は最初から「ここ」のある時点にあったのではないことを知らされるのです。それは「むこう」(ほか)から流れ来たって、また「むこう」(ほか)へ流れ出していく。それはおうおうにして四季のウツロヒと重なっていく。それは日本の時間です。 》 329頁

《 ひるがえってインドがかたちづくったものは「空」というコンセプトです。これにたいして中国が営々と築いてきたコンセプトは「無」です。 》 294頁

《 しかし日本の古代仏教史のメジャーはなんといっても華厳です。華厳が定着し、崩れ去っていくまでが日本の古代史なのです。 》 297頁

《 このような日本仏教が本格的な”日本性”を獲得するのは鎌倉仏教を待たねばなりません。 》 304頁

《 光琳は花鳥風月を極端なモジュールにおきかえ、そこにリズムを発生させたのです。それは緊張の極限を表現しようとした宗達にはできなかったことです。光琳から酒井抱一、鈴木其一をへて今日の加山又造におよぶ琳派は、つまり「デザイン」を知っている系譜です。 》 408頁

《 畢竟、花鳥風月とは「片方」を求めて「境」を感じる世界です。 》 423頁

《私が本書を通じて景気の消息をめぐってきたものとは、「対と境の誕生」のことでした。片割れが片割れをさがす歴史をかいま見ようとしたことだったのです。 》 424頁

 新鮮な視点、切り込みがどっさり山盛り。どこからいただいても美味しい。やはり今は異端の書という印象だ。将来は先駆の書、かな。

 昨日までとはうってかわって涼しい朝。曇り空なのでブックオフ函南店へ自転車で行く。泡坂妻夫『折鶴』文春文庫1991年初版、竹久夢二『童話集 春』小学館文庫2004年初版、田中啓文茶坊主漫遊記』集英社文庫2012年初版、計315円。帰宅すればやはり汗〜風呂。

 昨日とりあえず作った桐の板の書見台、辞書二冊重ねの台ではなあ、と気になって読書の気が散る。夕方物置から100円ショップで買って使わず仕舞いの木のお皿立ての一部を切って台にする。角度がピッタリ。釘とボンドで固定。ほほう、これでまあ、見られる書見台なった。桐の手触りがいい。

 晩、近くの桜川へ灯籠流しに行く。例年感じることだが、此の世から彼岸(むこう)へ流れ出していく、と実感させる仕組みだ。
 それにしても、広くないT字路をはさんで西側では浅間神社のお祭りのお囃子、東側では白滝公園で雅楽と読経、横の桜川では灯籠流しと軒を並べる露店。五十メートルもない距離なので三島囃子と雅楽と読経が重なって聞こえる……。いかにも三島だ。

 ネットのうなずき。

《 私は「日本は経済力、技術力を高めておけば軍事はほどほどでよく、かつ原爆は不要」という考えだ。 》 武田邦彦

 ネットの見聞。

《 体の痛みには、単位で「ドール」が使われてることを知りました。今の所分かったのが、

  ドール10が『胆石』
  ドール9が『くも膜下出血
  ドール8は『お産』

  皮膚のかすり傷による痛みを0.5ドールとすると、
  大抵の神経痛や腹痛は1〜2ドール、
  普通の頭痛が2〜3ド−ル、
  心筋梗塞による痛みは4〜6ドール、
  腎臓結石が尿管を通過するときは10ドールに達するという。  》

  傷にはオキシドールを。恋の痛みは測定不能