現代短歌 そのこころみ・つづき

 関川夏央『現代短歌 そのこころみ』集英社文庫2008年初版から。

《 内向してイメージを限りなく鋭く磨きあげれば、共感を喚起する力は歌から失われる。 》 108頁

《 「青春歌」に必要なのは、表現上の瞬発力とやわらかな精神である。そののちにもとめられるのは、持久力と教養と絶えざる変貌への欲望、そしてそれを支える精神の筋肉である。 》117-118頁

《 不自由さゆえに自由を保証する短歌の韻律は、視野の狭窄と、その結果の未熟な自己劇化を呼びこむこともある。 》 143頁

《 こういう人がいるだろうという想像力がなければ「社会詠」にはならない。「正義」は自分にあり、「感傷」も自分にしかないと信じる不遜さが、ときに「社会詠」にはつきまとう。 》 148頁

《 短歌は繊細かつ鋭敏な器である。だからこそこのように陳腐きわまりない言葉の羅列にリズムのみを借用されたときは、無惨なまでの脆さをあらわにするのである。 》 153頁

《 たんなる「遊び」ではないのである。いいかえるなら、「遊び」こそが表現を生むのである。 》 180頁

《 文芸は命賭け、というのもひとつのイデオロギーである。 》 198-199頁

《 重ねていうが、これはプロとアマの差ではない。その時々の小さな「権威」を頼るか頼らないかという、文学に対する態度の違いである。 》 223頁

《 人間の欲は限りない、人生はままならない、というのが私の得た教訓であった。いまもその教訓、というより現実の追認とともに私は生きている。 》 257頁

《 五三年に茂吉が死に、八三年に寺山修司が死んだ。 》 304頁

《 一九九三年十二月十日、中井英夫は七十一歳で死んだ。 》 304頁

《 短歌の現場を離れて久しかったから本人はそんなことを考えもしなかっただろうが、このとき現代短歌史のひとつの章が閉じられた。 》 304頁

《 つまり「戦前」によって「戦後」は導かれたのである。「戦前」と「戦後」は、軍事と人々の意識以外は連続していたのである。そしてその連続ゆえに発展し得たのである。 》 152頁

《 近衛文麿の公家的遺伝子による不決断は、ちょうど半世紀後、冷戦体制崩壊後の政治的混迷期にその孫細川護熙首相の言動と行動の中に再びあらわれるのである。 》 125頁

《 しかしこの必死の努力の蔭には、勇猛で捕虜をとらぬ、いいかえればその残酷さで北ベトナム軍をも恐れさせた韓国軍によるベトナム各地での住民殺害事件があり、また同時に彼らは二万人以上の混血児をベトナム女性とのあいだに残したのである。それがゲリラ戦の戦場であった。それが戦争であった。 》 209-210頁

《 マスコミ情報には、あらかじめ意図と意思とが含みこまれている。 》 218

《 私は「戦後」を「戦前」と断絶したものとはとらえていない。 》 あとがき

《 私には日本近・現代史を、それぞれの時代の文芸表現の推移をつぶさに点検することによって再構成したいという志がある。 》 文庫版のためのあとがき

《 いいかえれば、あらゆる表現は歴史から自由ではない。 》 文庫版のためのあとがき

 読み応えのあるいい本だ。綿密に調査して、全体像が明確になってから執筆がなされたのだろう。短歌界の部外者だからこそ見えてくることがらがある。

《 この半世紀をかえりみれば、たとえば塚本邦雄岡井隆などの仕事がまず念頭に浮かぶ。しかし学ぶうち彼らは一章に閉じこめるには大きすぎる存在と実感され、あきらめた。 》 あとがき

 首肯できる。

 ネットの見聞。

《 敗戦→終戦、占領軍→GHQ、植民地支配→日米同盟、武装解除戦争放棄総督府→官僚制政治、敗戦記念日終戦記念日、検閲→教科書検定言論統制マスゴミ、政治不信→政治的無関心……日本人が植民地支配を意識しなくなるよう、色々な言葉が本質を隠す無難な言葉にすりかえられている。 》

《 「若者の○○離れ」に対抗して「中高年の責任逃れ」という言葉を提唱したい。 》