大仏次郎(おさらぎ・じろう)『旅の誘い』講談社文芸文庫2006年2刷を読んだ。読み始めは、なんか教科書のような文章だなあと思ったけど、進むにつれてこれはちょっとやそっとでは書けない文章だと気づいた。今まで読んだどの文筆家ともどこか違う。端整、粋、達意、いろいろな言い方があるけれども、それでは寸法が合わない。落ち着いたところは「紳士の文章」。昭和の紳士の文章だ。大仏次郎に『冬の紳士』1951年といいう小説があった。
《 美を、さかりの時だけに限って見ておく理由もない。紅や白や紫だけが美しいのでなく、冬の雑木の色もまた眺めて倦きぬものがある。花だけが美しいのではない。自分が気がつかぬ新しいものを発見して行くことを心がけて忘れまい。 》 18頁
《 私は今でも地震がおそろしい。そのくせ背丈よりも高く積み上げた本の中で、足の踏み場もなく朝夕を暮している。 》 80頁
《 大正の震災でその日の生活に困って古本屋に払ってしまった以外は、戦災も受けず今も私の手もとに残り、蒐集した十八匹の捨猫と共に、家の中を処置なく埋めて、足の踏み場もない、老いとともに読書力も衰えた。 》 103頁
この発表は1969年、大仏次郎七十二歳。十年後、私もそうなっているだろうなあ。本の行き先を考える。
《 人に不安感を抱かせる文学と、安心を与えて依らしめる文学がある。前者は西欧文学の特質であり、後の者は日本的な性質である。 》 135頁
《 また川端君の作品そのものが、写生から離れて白い紙の上に幻想を展開して行くものだったことも忘れていた。 》170頁
上手い表現だ。
昼前、ブックオフ沼津南店へ自転車で行く。池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』新潮社1994年3刷函帯付、摩耶雄嵩『神様ゲーム』講談社2005年初版函付、計210円。ギャラリー・カサブランカへ寄り、牧村慶子展の葉書をもらう。
昼、「あまちゃん」最終回を視聴。
《 能年は「(撮影を通して)自分の中でムキになってた部分もなくなって、その現場を楽しむことを学んだ。これからもアキちゃんは自分の中で特別な存在」と思いを語った。 》
《 ふっふっふ。みんな「あまちゃん」が終わっちゃったと嘆いているけど、僕は録画で見ているので、まだ4日分残っているのだ。さあて、何日かけてみようかな。あと10年終わらせないことだって可能だぜ。 》
午後、ブックオフ長泉店へ自転車で行く。久世光彦『泰西からの手紙』文藝春秋1998年初版帯付、石井好子『巴里の空の下 オムレツのにおいは流れる』河出文庫2011年初版帯付、東川篤哉『中途半端な密室』光文社文庫2012年初版、東雅夫・編『文豪てのひら怪談』ポプラ文庫2009年初版、森山大道『犬の記憶』河出文庫2001年2刷、計525円。
帰宅するとデザイナーの友だちから電話。昨日決まった展覧会のタイトルとキャッチコピーを昨夜さっそく作ってメールしたけど、主催者もOKという返事。流石、コシヌマ君。自分を褒める。
日が傾いた午後、源兵衛川中流際にある三島中央病院の人たちと川の手入れ。大人たちは草刈りとゴミ拾い、子どもたちは生き物探し。ハヤ、ヨシノボリ、トンボのヤゴ、サワガニ、カワエビなどなど。川へ返して楽しく終了。
帰宅すると年配の画家から、氏へ送った資料のお礼の電話。
ネットの見聞。
《 私の欲望のためでなく、私のために人生を送りたい。 》
ネットの拾いもの。
《 ミステリマガジン次号予告「特集=あまちゃんとローカル・ミステリの魅力」に、じぇじぇ! 》