大仏次郎『冬の紳士』講談社大衆文学館文庫1995年初版を読んだ。まだ焼け跡が目立つ昭和25年(1950年)の冬、新橋駅そばの小さな飲み屋にふらっと来た客が、後日「冬の紳士」と呼ばれる物静かな初老の男。彼を巡って物語は進む。冬の紳士、実は実業界の大物経営者だった。その職をふっと退いて、実業界そして家族とも縁を切り、肩書のない隠遁者の世界に身を置く。しかし、その難しいこと。人性への深い洞察を基に、当時の世相を縦断横断してそれぞれの階層を明快に描く。読み物として面白いのだ。大衆文学館文庫だから予想はしていたけれど。「安心を与えて依らしめる文学」だ。獅子文六『自由学校』を連想。
昨日の『旅の誘い』につながる文章に出合う。
《 冬の庭と言うのは、色の明るい花はないが決して暗いものではない。 》 91頁
《 この頃は、自分が行ったことのない町へ出て、あてなしに歩く習慣が出来てね。自分と関係ない人たち、路地裏の生活や、空地で遊んでいる子供たちを見て歩くのが、結構、楽しく思うわれる。 》 133頁
なあんだ、私と同じじゃん。私の場合は自転車だけど。
《 姉さん芸者はお辞儀をするように大きく頷いて見せた。
「そのエンゲルスとやらが、曲者なのね」
「そうだ、そうだ。マルクスの友達さ。よく知ってるな」
「マルクス兄弟ぐらい、あたしだって。ガウチョ・マルクス? こう言うの、いたわね」 》
随所にそこはかとないユーモアが潜んでいて、微苦笑を誘われる。ここで自慢げに、いとうせいこう監訳『マルクス・ラジオ』角川書店を1995年初版を本棚から抜く。
午後ブックオフ函南店へ自転車で行く。ル=グウィン『ゲド戦記外伝』岩波書店2004年初版函帯付、井伏鱒ニ『文人の流儀』ランティエ叢書1997年初版帯付、計210円。途中、知人の店に寄ったり、車の知人から呼び止められて近況を語り合ったり、知人の個展で知人の歌唱を聴いたり、やけに時間をとった。日没近く帰宅。
ネットの拾いもの。
《 右翼と左翼は掃いて捨てるほどいるのに、尾翼がいないからこの国はまっすぐ飛べないのである。
それ以前に、エンジンもプロペラもいないので、前に飛ばない。 》