久しぶりの雨。昼には止むが、湿気がよどむ。食料品の買出しで近所のスーパーへ外出するのみ。散らかった紙類を整理。床が広がる。
毎日新聞昨夕刊文化面、寄稿 市川真人(まこと)「『想像ラジオ』落選の意味」、副題「芥川賞選考委員が異例の選評」が目を惹いた。冒頭。
《 834行のうちの340行──。第149回芥川賞候補作のいとうせいこう「想像ラジオ」を巡り、『文芸春秋』8月号で選考委員たちは異例の行数を割いていた。 》
《 9人中6人の委員が懸命に書き連ねる「落とした理由」は逆説的に、作品が持つ力の大きさと意味を示して見える。 》
《 いずれも”文学者らしい”言葉だ。けれど、どこか言い訳めいても感じられるのは、僕だけだろうか。 》
《 河上徹太郎や中村光夫ら「読む者」としての批評家をいつしか選者に持たなくなった芥川賞のシステム、作品の”純粋な読者”たりえぬ必然ゆえに蛮勇をふるいきれなかった小説家たち、いずれとも無関係ではない。 》
《 受賞作評の2倍にあたる340行という数字が、そのことをよく表している。 》
抜書きなので誤読を招くかも知れないので、興味ある人は新聞に直接当たるように。
その昔、時代小説家の隆慶一郎が直木賞を獲れなかったのは、隆の実力を恐れて某小説家が落選させたからだ、と隆と懇意だった知人から聞いた。そういえば、三島駅のそばにあったスナックの主が隆慶一郎の「不肖の息子」だった。バブルが弾け、店は変わり、往時茫々。
陶芸の北一明氏は、公募展に応募しない理由として、自分の作品のほうが審査員の陶芸家よりも上だから、と豪語していた。作品を見て納得。
ネットの見聞。
《 愉快なことを理解できない人間に世の中の深刻な事柄がわかるはずがない。 》
《 「潮騒のメモリー」をキイに薬師丸ひろ子、小泉今日子、松田聖子、沢口靖子、堀ちえみがリンクしてしまう。
まさに、八十年代の潮流が迫ってくるようだ。
もう一つだけ、記しておこう。この年、八十四年、「刑事物語3 潮騒の詩」の後、
沢口靖子は映画に主役の一人として出演している。
「ゴジラ」
ゴジラが日本列島を未曾有の危機に陥れる、
その上陸シーンは、原発の襲撃。
過去と現在を繋ぐ暗喩を感じさせる。
八十年代をプレイバックすることにより二十一世紀を照射して、
「あまちゃん」は希望の力と、希望を持つ勇気と責任を
見せてくれたようにも思えるのである。 》 霞流一