『トンネルで酒びたり』

 スカッと秋の空。夏日だけれども、夏じゃない、秋。ブックオフ長泉店で二冊。R.タゴール『ギタンジャリ』第三文明社2002年2刷、高木彬光『羽衣の女』角川文庫1978年初版、計210円。

 フラン・オブライエン(1911-1965)のジェイムズ・ジョイスに関するエッセイ「トンネルで酒びたり」筑摩世界文学大系68巻1998年初版収録を読んだ。

《 ジョイスの精神は実のところ秩序整然たるものであった。制作中の彼は混乱を避けるために何種類もの鉛筆を用いた。『フィネガンズ・ウェイク』を含めて彼の全作品は厳正な古典的様式を備えている。 》

《 ジョイスの作品のどれをみても、悲哀と恐怖の小間使いであるユーモアがたえまなく忍び出てくる。 》

《 アイルランドカトリック教徒が受けついできた終末観の重荷を、彼は笑いによって軽くする。真のユーモアは背後に必ずこの種の切迫感を秘めているものなのである。 》

《 おそらくジョイスの本当の魅力は彼の秘密主義、両義性(というよりむしろ多義性)、技巧などの点にあるのだろう。彼は悪ふざけをやってのけては人をたぶらかす。彼の作品はわたしたちの何人かが遊び戯れることを許される庭園だ。 》

 このジョイス論は、そっくりフラン・オブライエン論になるように思える。昨日の『スウィム・トゥー・バーズにて』について、この巻に収録されているジョン・ウェインの論考「わが民族のために書く ── フラン・オブライエンの小説」ではこう書かれている。

《 この作品についての叙述を試みはしたものの、結局のところそれは不可能のことのようだ。あまりにも多くがこの作品の純然たる雰囲気にかかっている。そしてこの雰囲気を伝えるためには作品そのものと同じ長さの注解によるほかないのかもしれない。 》

 ネットの見聞。

《 電子書籍について
  「本はテクストだけでできているわけではなく、紙を漉(す)いた人、編集した人、レイアウト・デザインした人、印刷・製本した人と幾段階も経てできあがる。電子化というのはそうした幾段階もの人たちの仕事を捨てること。古本の世界に集う人の多くは、テクスト以外のものにも興味を持ってやまない人たちです。古い本を手にとっていると、電子化はテクストの電子化ではあっても、書物の電子化ではないのだと感じますね」 内堀弘 》

 ネットの拾いもの。

《 長野やばい。バッタソフトって頭おかしい。ソフトクリームにバッタ混ぜ込むって発想が理解できない。 》

 ソフトクリームに五匹のイナゴの姿煮がくっついている。うへ〜。フラン・オブライエンの世界みたい。