曇天。朝は小雨混じりで涼しい。秋霖の気配。アイルランドの天候を連想させる。
フラン・オブライエン(1911-1965)『スウィム・トゥー・バーズにて』筑摩世界文学大系68巻1998年初版収録を読んだ。
なんとも奇妙な小説だ。一昨日の『第三の警官』は、まともに奇妙だったが、1939年発表の『スウィム・トゥー・バーズにて』は処女作特有の、それまでに溜め込んだ奇想、アイデアをごった煮のように突っ込んで仕上げた趣がある。『第三の警官』以上に難儀した。訳者大澤正佳の解説から。
《 この作品は小説の小説という形式による重層的技法を駆使した実験小説で、その枠組みは三重になっている。(一)語り手はトレリスという作家を主人公とする小説を書こうとしており、(ニ)トレリスは彼自身の小説の構想を練っており、(三)その小説の作中人物は作者トレリスを題材とする小説を書くことによって主客転倒を試みようとする── 》
《 現代ダブリン市民のいかにもそれらしい言動にオーヴァーラップして、アイルランド伝説・民話の住人がつぎつぎに登場することになる。 》
《 『スウィム・トゥー・バーズにて』は『フィネガンズ・ウェイク』と同じ一九三九年に出版されれた。ジョイスがそうしたように、オブライエンもこの作品でアイルランドの死を悼み、その甦りを祈る夜を徹しての通夜の酒宴を催している。この二人がつかさどる言語の祝祭では酔いしれた言葉たちが乱舞する。 》
《 ウェインが言うように「この作品は読まれ論じられることとのあまりにも少い、英語で書かれたほとんど唯一の傑作」なのである。幻の名著というおおぎょうな表現をあえて使えば、このアイルランド祝祭幻想は幻を描いた幻の書ということになろうか。 》
《 茶番めかした語り口にもかかわらず(あるいはそれゆえにこそ)彼の作品の後味は苦い。 》
同感。難儀をしたけれども、読んでる〜ぜい、と自慢できるかな。ただ読んだだけだけど。深い理解にはアイルランドの知識が必須。それにしても、類例が思いつかない、ひどく屈折した小説だ。
この68巻は『ジョイス II オブライエン』。ジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』の一部が訳されている。英語と翻訳と訳注が並んでいる。気力充満していないと踏み込めない。
ネットの見聞。
《 『アメリカン・マスターピース 古典篇』を出す柴田元幸さんに、「柴田さんにとってのマスターピースの定義は何ですか」と質問したら、「授業で取り上げて学生が『つまんない』と言った時、『すみません』と謝るのではなく『ばかやろー』と怒鳴れる作品」と答えてくださった。深く納得。 》 豊崎由美
《 千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館が、アメリカの現代抽象表現主義の代表バーネット・ニューマンの絵画「アンナの光」を売却しました。ほぼ一面が赤い絵画で、売却額は103億円です。 》
ネットの拾いもの。
《 うちの会社に抽象画はないが、抽象的経営戦略ならたくさんある。 》