鴨長明『方丈記』唐木順三・訳(『日本短篇文学全集2』筑摩書房1969年初版収録)を久しぶりに再読。 二十一世紀に読むのは初めて。『方丈記』は池澤夏樹「日本文学全集」に選出されている。
《 ただ閑寂を望み、憂えのないことを無上の楽しみとしている。 》
《 だから自分を自分の召使にするのがいちばんよい。もしなすべき事があれば、自分の身を使ってそれを やる。疲れてだるくなることもないではないが、ひとに命令したり、ひとに遠慮したりするよりはまだまし である。 》
《 心には身の疲れ具合がよくわかるので、苦しい時は身を休ませ、働きたいという様子をしているときは 働かせる。働かせるといっても、過度にならないようにする。 》
著者の歳六十を越えた私には、以前とは異なった相貌を感じる。方丈記、それは否定形の文学。諦観でも 達観でもない否定形の意識。否定ではない、否定形。あるいは限りなき逸脱。直感で記したことなので 内容は無い様なもの。理路整然と説明できるものではない。
そして思うのは、水木しげるの短篇漫画『神変方丈記』(『ねずみ男の冒険』ちくま文庫1986年収録)。 なんと見事な換骨奪胎ぶり。
夕方、味戸ケイコさんから電話。五十分ほど語らう。
ネットの見聞。
昨日買った森岡正博『生命学に何ができるか』の新しい論文「まるごと成長しまるごと死んでいく自然の 権利:脳死の子どもから見えてくる『生命の哲学』」。脳死移植やら妊娠中絶やら難問に理路整然と挑む。
http://www.lifestudies.org/jp/marugoto03
ネットの拾いもの。
《 女「夕飯なに食べる?」男「お前」女「それじゃ三食同じになっちゃうでしょー!」と、電車内でイチャ イチャと会話をしている男女がいたら遠くに座ってた綺麗な女性が突然立ち上がり男女の前に行き「大丈夫。 この男、夜食は別のモノ食べるから」と言って電車を降りた。その後の車内は大丈夫ではなかった。 》
《 フランスの新型列車、大きすぎて駅に入れず 》
http://www.cnn.co.jp/fringe/35048281.html
《 酔うと負けの唄 》