「 ふたりの証拠 」

 赤瀬川原平の視線はさりげなく世界の裂け目へと注がれていた。なにせ 『宇宙の缶詰』だから。無用物物件だから。スゴイ人だった。重厚長大、 厳かなもの、立派なものが席巻していた時代に早、空き缶で究極の缶詰を制作 してしまったのだから。無用物物件によって芸術は高価で立派という常識をひっくり返してしまったのだから。うーん、千利休以来だ。

《 そもそも路上観察学の網に引っかかる路的物件のほとんどが、その 町その家の人々にとっては誇りたくない性質のものである。(中略) だから路上観察者にはご当地への適当な配慮が必要となる。(中略) しかし世間の常識というのはすぐに答えを求める。そこが困った ものだ。 》 『芸術原論』岩波書店1988年初版、213-214頁

 赤瀬川原平論てあるのかなあ。

 アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』早川書房1994年15刷を読んだ。 『悪童日記』の続編。双子の片割れの十代の生活が描かれている。

《 ともあれ、『ふたりの証拠』はおおむね、クラウスと離れ離れに なってからのリュカの物語である。 》 訳者あとがき

 戦時下の熱く危険な情況から戦後冷戦下の危険な情況。そして巻末、 国外へ脱出した片割れ(クラウス)が育った国境の町へ旅行者として 戻ってくる。しかし、片割れ(リュカ)は何処かへ去っていて消息不明。 破天荒な前作から三人称による普通の形式の小説になっているが、内容は やはり鋭い。脱帽。続く第三作『第三の嘘』を読みたくなる。帯文が 煽る。

《 ベルリンの壁の崩壊後、初めて二人は再会した……
  時は流れ、三たび爆弾が仕掛けられた          》

 ブログには書いていないが、絵やオブジェなどを画廊などで見ている。 ここに記すほどのことではないと判断。なぜここで満足してしまうのだろう。 なぜもっと優れたものを創ろうと志さないのだろう。そんないらだちを 覚える日々。結論。それらは生活を彩るだけに作られた作りものなのだ。 私の求めているのは生活を彩るだけのものではない。求めているものは、 私の認識を更新、拡張させるような作品。その可能性のある作品を希求する。 「花には香りを 本には毒を」は、某出版社の謳い文句だが、『悪童日記』 『ふたりの証拠』には毒もある。心の安らぎよりも心を揺さぶる作品。 新世界へ誘う作品を。

 朝、下源兵衛橋〜水の苑緑地のヒメツルソバを除去。土嚢袋に詰める。 これにてこの秋の除去作業は終了。その下流は私の範囲外。手を出さない。

 午後、埼玉県からの源兵衛川の視察案内を一時間ほど。

 帰宅後雑用を済ませてコーヒーを淹れる。ドリップ用に一人分がパック されたもの。インスタントよりはいい。コーヒーを味わっていて気がついた、 なぜいらついているのか。一昨日近所にある店を初めて訪れた。主の嗜好で 懐古趣味の内装。どこか違和感。コーヒー注文。添付のミルクがコーヒー フレッシュ。脱力。五百円近い値段。チグハグな気分。

 ネットの見聞。

《 映画も、音楽も、観るきっかけ、聴くきっかけを 如何に企画するかが大切になっている。 》 Hironori TERASHIMA

《 綾辻行人『Another』英訳版の《紙版》がアメリカで明日、10月28日発売  》 Dokuta

 ネットの拾いもの。

《 先日”人に騙されなくなる壺”を300万で買ったが、僕にはもう必要ない ものなので必要なら50万でお譲りしたいと思う。 》