アゴタ・クリストフ『第三の嘘』早川書房1994年13刷を読んだ。 『悪童日記』『ふたりの証拠』につづく第三部。双子の兄弟はやっと 再会を果たす。が、……。
《 この作家の世界に足を踏み入れると、何が「真実」で何が「嘘」 なのか、それともすべて「嘘」なのか、わからなくなってしまう。 》 あとがきにかえて
そのとおり。読者は、いや私は翻弄される。どう解釈すればいいのか。 戦争に翻弄される兄弟の話から愛憎に翻弄される兄弟の話へ。いたる所に ポッカリと空いている、人の心の底知れぬ深い亀裂。癒しがたい傷。 どこの国でも同じ問題。人の心は違わない。
三作、簡明簡潔ないい文章(訳文)だ。三作とも一気に読んた。 巧みな比喩などなくても、平明な文で読者を充分堪能させられる。 それを知った。そのためには、深い洞察力としっかりした構成力そして 強靭な構想力が、的確な描写力の土台の上に築かれなければならない。 ……私には無理じゃ。
ブックオフ長泉店で四冊。辻仁成『代筆屋』海竜社2004年初版帯付、 大野晋『日本語について』岩波同時代ライブラリー1994年2刷、荒俣宏『ブックス・ビューティフル』ちくま文庫1995年初版帯付、澁澤龍彦『偏愛的作家論』河出文庫1997年初版帯付、計432円。コーヒー代一杯分以上の楽しみだ。
『代筆屋』の帯文。
《 いい小説は、人生観を変える。
いい手紙は、人生を変える。 》
その下の言葉「ハートフル」という英語はない。近くのレストランは「 HEART FULL 」と表記。なんというか。『偏愛的作家論』、増補版、 新訂増補版が出ていたとは知らなかった。
ネットの見聞。
《 赤瀬川さんの死を通じて僕は深沢七郎を読み直してみよう。なにか発見がある気がする。 》 椹木 野衣
《 赤瀬川原平を批評するにはそのような迂回路がどうしても必要だ。美術研究の対象に据えるのもよいが、もとよりコンセプトなどという水準にはない。超芸術とはいわば美術における零円紙幣のようなものであり、もっと言えば現代美術が廃棄されたあとの世界の探求であった。 》 椹木 野衣
《 蕗谷虹児、パリへ再び 2015年5月、パリで虹児の個展が開かれることになった。》
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20141027142177.html
蕗谷虹児は晩年中伊豆(現:伊豆市)に住んでいた。が、伊豆市の人は知らない。蕗谷虹児を慕って修善寺(現:伊豆市)に引っ越した内藤ルネも 知らない。中伊豆に晩年住んでいた倉橋由美子も知らない。もったいない。