「 戦後美術の断面 」

 著者へネット注文した自費出版の新刊、笹木繁男『ドキュメント 戦後美術の断面 作家の足跡から』六千円が昨日届く。 限定三百部。

《 本書のサイズはA4判、カラー口絵が32ページ、図版が279点も掲載されている。 本文は2段組みで455ページ、口絵と併せて495ページという大著だ。 単純に割り算しても、作家一人あたり400字詰め原稿用紙で平均35枚も充てている。 》 mmpoloの日記
 http://www.sohokkai.co.jp/product/post_192.html

 著者は「はじめに」に書いている。

《 本書は商業書ではなく、美術研究のための書籍である。ために部数も小部数とし、 原価販売とした。従って一般書店では取扱わない。再版も行わない。 》

 私の六十四歳の誕生日の(自前の)贈り物だ。

 表紙画に使われた画の中村宏のコメントに「通底する深み」という表現。 「通底」、好きな言葉だ。意味。

《 表面上異なって見える事柄や思想などが,根底において通ずるところをもつこと。 》

 先月の新刊、平井功『爐邊子(ロペス)随筆抄』盛林堂を時折読んでいる。誤植かな?とメールしたら そうだった。きょうも誤植候補の句読点が眼に留まる。それはさておき。アラン・ポーの詩についての文章で、 アートとクラフトの違いを論じていた。日夏耿之介(ひなつ こうのすけ)の文章を紹介して彼は続ける。

《 更にこの語を敷衍して、芸術と技術との相違を瞭らかにすれば、「芸術」は製作の動機を 「人間死生一大事」に発し、之を究極の目的とする製作の謂であり、「技術」は製作の動機を単なる 「思いつき」に発し、「興味」に発し、終始「興味」と小手先の「器用」とを生命とする制作である。 》

《 このArtとCraftとの識別は、これ以上には、個々の作品に就いての検到と、判者の芸術に対する 味解鑑賞眼に俟つ外はない。 》

 そうなんだなあ、と思う。区別をしようとしても、ほとんど徒労に終わる。時代時代でそれらの意味合いが 変わる。作品の輝きも変わる。上記『ドキュメント 戦後美術の断面 作家の足跡から』の沢山の作品、 それらのうちのかなりのものが、もう色褪せ、古臭い時代色を帯びているのに驚く。 制作された同時代を生きた人には今もって鮮やかな印象かも知れないが、その後に生れた者には 古臭い感覚を感じるのみ。魅力の賞味期限は否応なくある。時代の制約を超えて魅力を放っている作品も 当然あるが、時代の変遷による退色、風化はじつに非情だ。立派と見える作品ほど、それが早い。 そしてここに見る多くの作品は、表現への強い意思が前面に表れている。それもあまりに露わに。 魅力が剥落し、意思だけが、残骸となって立っている。それに対し引きの魅力を見せる作品は少ない。

 以前は作品について、金メッキと純金とに区別した。メッキが剥がれて地金(メッキの器物の下地の金属) が現れて正体が露呈するもの、下地も純金の本物という区別に最近は、金箔の張子が加わった。 立派な金箔の下には何もない=空っぽ。純金の金箔を貼った行燈のようなもの。中空であることが大事。 これぞ日本美術のフツーのあり方かもしれないと仮説を立てている。近代現代の美術は西洋にならって、 中身をぎゅうぎゅう詰めようとして、どこかで踏み外した。そんな仮説。

 ネットの見聞。
《 追加緩和には正副総裁と研究者出身の委員5人が賛成したが、 金融機関や民間企業出身の4人が反対する異例の僅差となった。 》
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141031-00000102-mai-bus_all

 実体を知らぬ者と実体を知悉している者にはっきり分かれた。

 ネットの拾いもの。

《 豊島区役所から配られた防災地図に赤い♥マークがたくさんあるのを見た彼女が 「さすが池袋、ラブホテルがあちこちにあるね」と。それはAEDの設置場所です。 》
 さあ、独りで酒でも飲もう。