昨日の出久根達郎『古本夜話』ちくま文庫2003年初版で深く頷いた 「古本の魅力」のくだり。
《 以前、文学書の復刊というものが盛んで、多くの名作が発刊当時そのままの 姿で再現された。これを求めた人達は、しかしじきにあきてしまって古本屋に 払いにきた。本物そっくりとはいえ、それは形だけである。その形が生きてきた 歴史は再現すべくもない。 》 216頁
ほるぷ出版から1974年に出た本を五冊古本屋から購入した。竹久夢二、初山滋 らの装丁、口絵が目当て。本文は読んだことがない。ブックオフでは海外の絵本の 復刻を105円で数冊購入。エドワード・リアのナンセンスの絵本など。英語なので チンプンカンプン。
続けて出久根は書いている。
《 本の歴史は手アカであり、ほこりでありシミであり日焼けである。古本の 楽しさは、なんのことはない、この本の汚れではないだろうか。 》
さすがにそれはちと違うだろうと一言言いたくなる。それはそれとして、この 一文から思い浮かべた古本が二冊。一冊は河鍋暁斎『暁斎酔画』出版・松崎半造、 明治十五年十一月の出版。全書版の大きさの総木版画和紙和綴本。糸は新しい ものに替えられている。よく読まれているけれども丁寧に扱われている。この本 なんぞ、上の引用の見本のようなもの。和紙なので軽い。
もう一冊は、岸田國士(くにお)『戯曲集 落葉日記』第一書房昭和三年初版。 函入りで堅牢、革背、表紙に型押しのある洋風の渋い装丁。持ち重りのする本。 こちらは手に持って撫ぜて楽しむばかり。そして一寸頁を開いて、そこの活字に 目を投げかける。
《 応接間──ピアノの蝋燭立に蝋燭が二本点いてゐるだけで、部屋の中は 半ば闇である。
倉子 (ピアノにむかひ、弾くともなしに鍵盤を弄んでゐる。それは、 自分の言葉に伴奏をしてゐるやうである。) 》 182頁
『傀儡の夢』の一場面。都会の上流階級という印象。それに相応しい造本だ。 読まれた形跡はない。造本を愉しんだのだろう。造本といえば、装丁家戸田ヒロコ 女史から装丁本の案内状。
12日から仙台市のギャラリー蒼
http://www.gallery-sou.com/
12月2日から長崎のKTNギャラリー
http://www.ktn.co.jp/ktngallery/2014/11/2014120220141206.php
朝雨が止んだので源兵衛川の月例清掃へ。三島へ引っ越して半年、初めて清掃に 参加した男性を、三島旧市街地へ自転車で案内。喜ばれる。特に細い路地に居並ぶ 呑み屋。日曜昼前なのにすでに営業中、カラオケが漏れてくる。隣の呑み屋も 営業中。こちらは「一見さんお断り」の木札。えらく喜ばれる。
ネットの見聞。
《 「ああ、こんなに厚い本なのか――がんばって読むとするか!」
「ああ、こんなに厚い本なのか――読むのをやめよう!」 》
これが電子書籍にはない。
《 もう、本に関しては、版や署名や特殊記番やとくに素材の良さと手触りしか こだわらないわ。そう、もう末期よ、手触りが良ければいいんだもの。あと、余白。 余白がしっかりと、とられていない本なんて、真っ黒い紙見てるみたいで、 どうにかなっちまいそうだわ。 》 多岐螺歩
余白といえば、塚本邦雄歌集『星餐圖』人文書院1971年初版だ。
《 本書に採用した一頁一首一行組は私の歌集としては始めての試みであり、 また年来の希望であった。 》 「星餐の辞」
澁澤龍彦『異端の肖像』桃源社1967年初版は、大きな余白が紫色の図像で 埋められている。初めて目にしたとき、うわ、文章が少ない! と驚いた。 A4判1頁33字15行。
《 私の限定本の記番に対する興奮度
1.著者家蔵本(ぷぎゃ)
2.三桁ゾロ目(わお)
3.刊行者本 無記番(まあよい)
4.1〜10番・最終番号本(なかなか)
5.数秘術が三の倍数(妥協案) 》 多岐螺歩
珍しい本では、半村良『石の血脈』の私家版をファンが知人に制作依頼したもの。 「拾部限定本の内 本冊は番外番」。1975年4月1日発行の非売品。 制作に関わった知人から頂いた。
「三桁ゾロ目」というと、木葉井悦子『うみはぎなみほどき』トムズボックスが、 1993年11月1日発行、記番11/111。
http://d.hatena.ne.jp/k-bijutukan/20141025
《 手触り・アナログ感への渇望。手先を使う道具への希求。そこへ、 斬新なデザイン性や、使い方を誘導するユニークな設計思想等が融合して、 今や文房具は「スモールラグジュアリー(小さな贅沢)」とも表現される 独自の領域に。 》
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141109-00000000-pseven-bus_all
《 「芦辺択様」という執筆依頼状を見て、考えている。 》 芦辺 拓