「 「歌う彫刻」と「人間=機械」(前編)(中編) 」

 椹木野衣『後美術論』美術出版社、「第12章 「歌う彫刻」と「人間=機械」(前編)」を 読んだ。三人組テクノポップユニットPerfumeの公演の描写に始まって、クラフト・ワークなどを 論じ、Perfumeをめぐる以下の一文で結ぶ。

《 それは「人間=機械=音楽」の、現時点でもっとも今日的な起源(ルーツ)なのである。 》  510頁

 パヒュームもクラフト・ワークもさほど関心がなく、よく知らない。BABY METALを想像すれば いいのかな。ちと(大いに?)違うか。

《 このように、人間と機械と音楽からなるクラフト・ワークの三位一体は、後美術論の核心を突く ものだ。美術作品を無批判に自律的な存在と考えず、それをつくり出した作者との不分離な生 (ライフ)との一体性から考え、両者を媒介する資本やメディア、そしてテクノロジーを通じて 旧来の「美術」を再定義するのが後美術の役割だからだ。 》 507頁

 はい、そうですね、とは今は言えない。じっくり考えたい。昨日のフリージャズへの見方も、 私の見方とは違っている気がする。私はフリー・ジャズそのものには距離を置いていたが。 私にとってジャズは、1970年代のアート・アンサンブル・オブ・シカゴ、山下洋輔トリオ以降は 関心が薄れた。この二グループの1970年代で十分という思い。ピアノの上原ひろみはすごいと 思うけれど、CDを買うまでにはいかない。理由はよくわからない。と、書いてしばらくして 思い当たる節。ギリシャの女性歌手ハリス・アレクシーウならまず買ってしまう。彼女の歌には 土地の力のような、足元を揺るがすような情感喚起力がある。土地を掘る(ディグ)作品は 好きだが、土地から舞い上がっているような作品は……受け付けないのかもしれない。

 「第13章 「歌う彫刻」と「人間=機械」(中編)」を読んだ。クラフトワークが詳細に 論じられている。ドイツのテクノバンド「クラフトワーク」の表記は「Kraftwerk」だと知った。 意味は「発電所」。クラフトワークアメリカで予想外に受け入れられた理由が語られる。 その表層を深くえぐって骨(本質)まで露わにしたような深い読み込みがなんとも爽快。

《 これは、歴史も文脈も異なるかに見えたドイツ生まれのいささか奇妙なエレクトロニック・ ポップ・ミュージックが、実際には、アメリカのエンターテインメントを支える社会 システムとその歴史の紆余曲折に、ぴったりと重ねることが可能であったことが示された 瞬間でもある。クラフトワークの音楽が、縁もゆかりもないかに見えたアメリカで、 あれほどまで好意的に受け入れられる素地は、実際には十分にできあがっていたのである。 》  531頁

 九時過ぎから正午近くまで、源兵衛川中流部の手付かずで繁茂していたヒメツルソバを抜く。 抜くというより石垣からぶ厚い毛織物絨毯を引き剥がす感じ。土のう袋十袋に詰め込んだ。 自宅まで自転車で四往復。前半は二袋を荷台に重ねて、後半は前のカゴにも一袋を入れて運んだ。 これで今春の駆除は終了。後は目こぼしをちょいちょい。ふう。コーヒーが旨い。ジーンズと 上着と軍手を洗濯機へ。天気がよくて風があるからよく乾くわ。完了のご褒美のように、 北原尚彦・編『押川春浪ホームズ翻案コレクション ホシナ大探偵』盛林堂ミステリアス文庫 (きょうが発売日)が届いた。1200円。

 ネットの見聞。

《 学校の偏差値や様々な分野の「検定試験」をはじめ、ギネスブック世界遺産ミシュランガイドなど、日本では価値判断を権威者に委ね、権威者に「認定」や「序列づけ」 されることに抵抗がなく、逆に喜びや満足感を得る人が多い。全体の中での序列を重視する思考は、 上に迎合し下を見下す思考でもある。 》 山崎雅弘
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