ボードレール散文詩集『パリの憂鬱』齋藤磯雄訳、三笠書房1967年初版、「三六 描かんと する願望」、「三七 月のめぐみ」、「三八 いづれが眞のかの女(ひと)か」の三篇は、 女性の底知れぬ魅力を詩(うた)っている。
《 もし光明と幸福とをそそぐ黒い天体を想像し得るならば、私はかの女(ひと)を黒い 太陽にも譬へよう。さりながらかの女(ひと)はむしろ月魄(つきしろ)をこそ想はしめる。 》 「三六 描かんとする願望」
「そそぐ」にはサンズイに麗というなんとも典雅な漢字が使われている。
《 だからこそ、呪われたいとしい甘えっ児よ、僕はいま、君の足もとに身を横たへて、あの、 恐ろしい女神であり、運命を啓示する名づけ親であり、あらゆる「奇人変人(リュナチック)」 に毒を飲ませた乳母である「月姫」の反映(てりかへし)をば、隈なく君の全身に探し求めるのだ。 》 「三七 月のめぐみ」
こんな女性に巡り会いたい。
《 『あたしなのよ、これがほんとのベネディクタ。あたしなのさ、世に隠れないげす女。さ、 あんたの気ちがい沙汰とお目の利かない罰として、ありのままのあたしを愛して頂戴な。 』 》 「三八 いづれが眞のかの女(ひと)か」
女はコワイ。つづく「三九 名馬」冒頭。
《 たしかに醜い女だ。しかも心を蕩かすものがある。 》
まったくワカラン、女性は。その最終連。
《 のみならずいたく優しい。いたく熱烈な女だ。この女の恋は秋の恋。近づく冬がその心に 新たな火をともしてゐると云へようか、そのへりくだつた心づくしにはいささかも煩わしいところが ない。 》
ここに落ち着くか。解説で齋藤磯雄は書いている。
《 「耳にきこえる旋律は甘美である。しかし耳にきこえない旋律はさらに甘美である」と ダニエル・ロスは言ふ。このさだからぬ音楽、夢の和聲、沈黙の歌、暗示の管弦を、散文の垂帳 (とばり)に蔽ひ隠した技法こそ、ボードレールの創造に成る「新しき何物か」である。 》
詩の内在的リズム。と言ってしまうと、理解が浅い気がする。もっと深いところから。 絵画の気韻生動にも通じるだろう。が、片言隻語では無理か。肝胆相照らすような、ワカル人には ワカルものだろう。ワカリタイ人がワカルように道筋を示すのが、批評の役目、かな。 日本人の近現代の詩にありそう。あるだろう。例えばこれ。
《 ドイツの腐刻画でみた或る風景が いま彼の眼前にある それは黄昏から夜に入ってゆく古代都市の俯瞰図のようでもあり あるいは深夜から未明に導かれてゆく近代の懸崖を模した写実画のごとくにも思われた
この男 つまり私が語りはじめた彼は 若年にして父を殺した その秋 母親は美しく発狂した 》 田村隆一「腐刻画」
やっと晴天。朝、県会議員選挙の投票へ、その後源兵衛川の月例清掃へ。目眩く花吹雪。
ブックオフ長泉店で別役実を三冊。『童話そよそよ族伝説3 浮島の都』三一書房1985年初版、 『思いちがい辞典』ちくま文庫1999年2刷、『当世 悪魔の辞典』朝日文芸文庫1995年初版、計324円。
ネットの見聞。
《 辺野古移設は日本の利権の話 米軍の要請ではなく国防無関係 》 NEWSポストセブン
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150410-00000001-pseven-soci
ネットの拾いもの。
《 「彼氏ほしい」っていう女の子と、「彼女ほしい」っていう男の子がたくさんいるのに どうしてカップルがなかなか誕生しないのか。そう思ってる人がたくさんいると思うけど、 そこでオススメなのが ”妥協” です。 》