『日本文学史』つづき

 小西甚一『日本文学史講談社学術文庫1993年3刷、後半。

《 十二世紀から十三世紀にかけて、物語がみじめに没落していったのに、歌だけが このように隆盛をきわめたのは、公家たちによって、歌こそ本当の文藝だと意識されて いたからである。 》 「第三章 中世第二期」88頁

《 この盛況が、元久二年(一二○五)の『新古今和歌集』に結実したものである。 》  「第三章 中世第二期」89頁

《 新古今時代の歌は、個性の顕著なことを特色とする。 》 「第三章 中世第二期」 89頁

《 十四世紀から十六世紀にかけての文藝史は、能楽と蓮歌を除いたら、ひどく貧弱な ものになってしまうであろう。 》 「第三章 中世第二期」115頁

《 しかしこの無構造的なところこそ、じつは、日本文藝のひとつの特色なのであって、 古くは『古事記』あたりから、作り物語・蓮歌・浄瑠璃・歌舞伎脚本・浮世草子に いたるまで、みな多少とも持ちあわせているものである。 》 「第三章 中世第二期」 127頁

《 貴族的な伝統が十七世紀になっても尊重されていたことは、俳諧について見ても、 はっきり言えるところである。 》 「第四章 中世第三期」132頁

《 芭蕉杜甫の表現からまなびとった最大の収穫は、シナ的な切断性の深さであったろうと 思われる。 》 「第四章 中世第三期」138頁

《 さきに物語と小説とを区別したとき、物語が人生の全体を描くのに対し、小説は人生の 断面を描くものだと述べたが、その意味で、西鶴は、まさに「小説」を書いたのである。 》  「第四章 中世第三期」142-143頁

《 近松も、近代への方向を歩みながら、なお中世的表現にふかく根ざした態度を堅持して いるのであって、その点、芭蕉西鶴と共通する。 》 「第四章 中世第三期」152頁

《 十三世紀から十六世紀にかけては、よく暗黒時代などとよばれるが、貴族以外の社会では、 案外、自由な精神がみなぎっていた。 》 「第四章 中世第三期」154頁

 これらの視点、裁断を、唐木順三『日本人の心の歴史』と照らし合わせてみると、なかなか 興味深い重なりと相違が見られよう。なによりこの『日本文学史』には近世がない。古代〜 中世〜近代なのだ。見解の相違は相違として、どちらも納得がゆく。また、どちらも良い著作 であることには相違ない。

 新しい白いワイシャツを着たら、それまでのシャツが古ぼけて見える。まあ、古いけど。 白が眩しい。友だちが手描きカットの一筆箋百余枚をフェイスブックで知った人に送った。 で、ふと思いついた拙い(当たり前だ)短歌。

  みはるかす富士の高嶺に降る雪や百(もも)幾箋の書き散らしかな

 ネットの見聞。

《 若いうちにたくさん読書しなさいと教養の観点から説く人はいたけれど、 視力の観点から説いてくれる人が周りにいなかった。若者よ、ちっこい字が 楽々読めるうちに本をたくさん読もう。 》

 歳をとってからも読めるようにと、高校生のときから大きめの活字の本を買っていた。 筑摩書房から出ていた『日本短篇文学全集』全48巻などだ。あと半年で高齢者だけど、 未だに眼鏡は不要、創元推理文庫を楽々読んでいる。嬉しい誤算。

《 大前提を無視して行われる議論が多い。「他国が攻めてきたらどうするのか。 武器を持って戦争ができる国にしよう」という。けれど、他国に攻められない国にするのは どうしたらいいか、がその前に問うべきこと。武器を持って戦争ができる国になったら、 余計危険になる可能性が。 》 寮美千子
 https://twitter.com/ryomichico

 ネットの拾いもの。

《 【その後、辻元氏らと共産党街宣車に乗り換えた自民党柳本卓治参院議員は 「兄弟分のような感じだ」と共産党を持ち上げ、】
 http://news.livedoor.com/article/detail/10096214/
  生きている間に「国共合作」が見れるとは思わなんだw
  長生きはするもんだww  》

《 「でもミナミは残念ながら想像していた街ではなくなっていた」。そんな方には、 ミナミからさらに南へ、南海「難波」駅から高野線に乗って12分の「堺東」駅で下車 することをお勧めする。そこにはガラパゴス諸島のように生態系が温存された大阪がある。  》

《 学会発表のドレスコードも面白いよね。抽象度が上がるほど自由になるというジョークもある。 「化学会:スーツを着るように/物理学会:汚れていない服を着るように/数学会:服を着るように」  》