「洲之内徹の文章作法」

 昨夜は洲之内徹の著作で名前のあがっていた、ジャズ・サックス奏者ジョン・コルトレーンソニー・ロリンズそしてブルース歌手ベッシー・シミスらのレコードをかけず、椅子に沈んで 日本酒を少し呑んだ。雨の止んだ金曜の夜、外では浮かれた酔っぱらい達がご機嫌に歩いている。 壁一つ隔てた静かな部屋。レコードジャケットを見ながら空耳の音楽演奏に耳を傾ける。
 洲之内徹は七十四歳で亡くなった。彼の人生に自らを重ねてしまう。十年か。あと十年で 何が出来るか。酒は飲めるな。そっちかい。いやいや、洲之内徹でいいなあ、と思ったのは、 死ぬまで画廊主の現役だったこと。「気まぐれ美術館」シリーズでは、誰それの絵が何点売れた、 ということは書かれていない。経営の苦労話は軽く流している。なんとかやりくりしてるんだな、 と読者は気軽に思うだけ。楽屋裏を見せなかった。彼の「気まぐれ美術館」は小説を書く気構えで 執筆していたと、私はやはり思う。彼の芥川賞候補となった小説は未読だが、そこでの挫折が、 この「気まぐれ美術館」の文章作法の創出につながったと考えている。身辺雑記のようであり、 けれども虚実の皮膜がはっきりと張られている。いや、虚々実々の出入りかな。それはおそらく 誰も試みなかった作法だろう。種村季弘のエッセイ、「漫遊記」シリーズにも通じる。種村氏は これを小説のつもりで書いている、と言っていた。二人の生きた青春の違いが文章に表れている。 おそらくそれは、戦中戦場派(洲之内)と焼け跡闇市派(種村)の違いでもあろう。
 人は常に自らの過去を意味づけて、意義づけて生きている、と思う。今の自分を肯定し、今を 納得させるために。不遇な過去からここまで這い上がってきた、という自負。今は大したことはないが、 昔は大いに暴れた、世間をブイブイ言わせた、と過去の記憶を様々に演出する。洲之内徹にもそれを 感じるが、それはだれにもあること。物故作家を発掘し、顕彰することは、あり得たかもしれない もう一つの人生を体験しているのかもしれない。遺作となった、藤牧義夫の線描画の舞台の追跡は、 まさしく洲之内徹の人生の最期の探索だ。書かれなかった次作は、多分、三種もある木版画 (「夏も逝く」302-303頁、三枚の〈赤陽〉)の原因究明だったという気がする。それは他の人 (かんらん舎・大谷芳久)が追求している。
 http://furukawa.exblog.jp/11687249
 http://bt.bijutsu.co.jp/bt-yokotri2014/02_02.html

 毎日新聞、7日付「今週の本棚」を今頃読む。長部日出雄棟方志功の原風景』津軽書房を 三浦雅士が評している。地元愛だ。

《 国際的にはシャガールに匹敵するほどの評価を獲得しながら、国内での評価は低い。 それはいまなお変わっていないのではないか。 》

《 成功物語として鮮やかな展開を見せながらも、どこか鬱屈を感じさせるのは、志功への評価が いまなお国内的にはむろんのこと国際的にも十分にはなされていないからに違いない。 》

 出世作『釈迦十大弟子』を原宿近くにあったドゥファミリィ美術館で見ているが、こんなものかな、 と思った。別の日に見た長谷川潔の小さな銅版画にはぐっと惹かれた。これ欲しい、と切に思った。 マニエール・ノワールではないが、とても気に入った銅版画を安く入手できた。
 http://web.thn.jp/kbi/kiyos1.htm

《 著者は、第七章「挿頭花(かざし)板画集」で、志功の襖絵の描き方がほとんどアクション・ ペインティングに等しかったことを、同時代のポロックを引き合いに出しながら書いている。 》

 その襖絵は未見だが、うーん、棟方志功、そんなにすごいのか、が私の考え。シャガールポロックを引き合いに出すのがなんとも。

 ブックオフ長泉店で二冊。荒俣宏『大東亞科學綺譚』筑摩書房1991年初版、半藤一利 『名言で楽しむ日本史』平凡社ライブラリー2011年3刷帯付、計216円。

 ネットの見聞。

《 【便利置換辞書】
戦争→事変。侵略→進出。虐殺→事件。退却→転戦。全滅→玉砕。敗戦→終戦。 戦争→防衛。爆発→事象。暴走→粛々。独断→総意。馬鹿→政治。 》 清水 潔
 https://twitter.com/NOSUKE0607

 ネットの拾いもの。

《 円高だった頃は、しょっちゅう円高差益還元セールが行われたもんだが、 円安になって輸出業者が差益還元セールをしたという話は聞かない。 ぜんぜん良くないじゃん、円安。軒並み値上げだし。 》

《 「ペニスに自信のある方は絶対に見ないでください」
  じゃあ見ない。  》

《 「超」「重」「ギガ」ってキッズの好きそうな字が全部入ってるので鳥獣戯画はネーミング的に優れている。 》