「テクニック テクノロジー」

 山崎正和『社交する人間』中央公論社は、内容があまりに豊かで瞠目することが次から次へと出現し、考えることが 一杯で、なかなか読み進まない。「第五章『アルス』の終焉」ではテクニックとテクノロジーに蒙を啓かれた。

《 あえてここでコリングウッドの犯した過ちを言えば、彼は人間の仕事の方法一般、彼の言葉では「テクニック」、 古くはテクネー、アルスと呼ばれたものを語るつもりでいながら、知らず知らず近代的な工業技術、彼と同時代に生まれた 「テクノロジー」について語っていたことだといえる。 》 100頁

《 なかでも職人技能のほうはまだ幸運であって、一部は「ノウハウ」の名で工業技術の補助とされ、一部は「工芸」と 呼ばれて芸術の周辺で生きのびることができた。 》 109頁

《 先に見たコリングウッドの理解が典型的であるが、近代的な芸術観によれば、表現される感情はつねに絶対的に 新しくなければならなかった。表現は一回ごとにその瞬間の真実を発見し、いっさいの感情の型と無縁でなければならなかった。 それは現実には不可能な試みであったのだが、近代芸術は紋切り型の通俗性を否定するだけでなく、表現にいっさいの枠組みが あることを許すまいとした。表現が一定の感情類型の枠内にとどまりながら、そのうえで相対的に新しくあることを 認めまいとした。韻律を持った定型詩を陳腐と呼び、音楽の調性や楽曲構成の型をも破壊し、演劇や舞踊では偶然的な即興を 尊ぶところまで徹底した。いわゆる現代芸術がとかく難解さを嘆かれたのは当然であって、そこでは理解ということに不可欠な パラダイムが成立しえないのであった。 》 109-110頁

 現代美術、現代アートへ。それはテクニックからテクノロジーへの代替わりでもあるかな。私はテクニックの冴えた作品に 惹かれる。テクノロジーを駆使した作品には驚くが、それだけ。これはすごく豊かな容量で語っている山崎正和の評論の、 ほんの一部への私の反応。

 コリングウッド、知らなかったが、『世界の名著 近代の藝術論』中央公論社1974年初版にコリングウッド「芸術の原理」が、 山崎正和新田博衛の訳で収録されていた。どうりで。毎日新聞夕刊、美術展の記事の冒頭。

《 「上手に描く人間だけが上手に見ることができる」「上手に見る人間だけが上手に描くことができる」。英国の哲学者、 R・G・コリングウッドはそう述べたという。 》 広瀬登

 不思議な暗合。

 ネットの見聞。

《 これがある世代はズキュンと胸を撃ち抜かれる写真ジャケット。着ぐるみの目は、しっかりとあの藤城清治作品の目に!  》  古本屋ツアー・イン・ジャパン
 http://furuhonya-tour.seesaa.net/article/438477078.html

 田中千禾夫(ちかお)『戯曲 教育・笛』河出書房1955年初版の表紙は藤城清治の絵。しっかりとあの藤城清治の目。

《 当然、不起訴に怒っている人は多いが、検察がここまで処分を遅らせる事で検察審査会による強制起訴を公訴時効で 不可能にした事にこそ怒るべきだろう。 》 日本国黄帝
 https://twitter.com/nihon_koutei/status/737513922350088193
 ネットの拾いもの。
《 30歳の後輩が実家で両親、祖父母、伯父伯母に「なんで結婚しないんだ?」と迫られ「だって、あんたたち、 全然幸せそうに見えないんだもの」と返し、居間の空気が凍りつき、誰も話さなくなったそうである。 》

《 長い髪を見ると「洗髪だけでも大変だろうに疲れて帰宅して風呂でヘアケアもして濡れてると傷むから ドライヤーで半乾きにして後は余熱で乾くよううまく調整し寝癖つかないよう注意して寝て起きたらブラッシングして 〜でも電車でおっさんがクシャミしてツバキがかかったりするんだろうな」と思う。 》

《 1960年代、王子製紙アメリカ進出に伴って英語社名を『OUJI Paper company』とやって、 とんでもないことになったという都市伝説をめいた話を思い出した。 》

《 ゴルゴ13のアニメを観ている。ビルに囲まれて狙撃できない場所にしか現れないターゲット。しかし、 ゴルゴはなんと手前のビルを爆破解体! 崩れた瞬間に狙撃。大がかりすぎる! 》

《 燃費偽装した三菱は客に差額のガソリン代を払うらしい。
  ということは、スズキは客から差額のガソリン代を貰わなければいかんな。
  疑ってすみませんでした 差額はスズキに払います。 》