『内田魯庵山脈』其の六

《 筆者はかつて三十年前、「徒党の系譜」という文章において、少数派の徒党は歓迎するが、多数派の徒党は いただけないことを主張した。今日日本の学界はほとんど学閥・地方閥を中心とする多数派徒党の巣になってしまった。 曰く、文化人類学党、社会学党、東京大学党、関西党等々……。[永井]荷風の言う「結社は必ずしも身を守る道とは いへない」という言い方には全面的に共感するのである。 》 375頁

《 私はこのところ、一人の人間を通して時代および文化を描くために、その人間がそれぞれの時にまわりに持っている ネットワークもその人物のアイデンティティの一部として考える立場をとっている。ネットワークの中に浮かび上がってくる 人物を、対象としての人物との関係において詳細に見ていくと、その人物も対象人物も異なる相貌を帯びてくる。ということは、 それらの人物群を通して特定の時代または文化の、これまでステレオタイプ的に描かれたものとは異なる像が浮かび上がってくる。 魯庵を、明治から昭和初期に至る日本の知的文化を浮かび上がらせるための最もふさわしい人物として私は選んでみた。それは、 彼がその時々において選んだ人物で築き上げた最も包括的な人物群からなるネットワークの持ち主であったことによると 確信しているからにほかならない。 》 390-391頁

《 榎本たちの獄中生活については、加茂儀一は『榎本武揚』(みやま書房、昭和四十三年)の中で次のように述べている。 (中略)
  この牢屋は数個の房にわかれていて、到着早々榎本はじめ他の六名の敗将たちは、それぞれ一人ずつ各房に入れられ、 牢名主を申しつけられ、牢内の未決囚の取締りをするなど、この点は伝馬町の本牢屋と同じであった。(中略)そのなかには 殺人犯、強盗犯、放火犯、恐喝犯などの市井無頼の徒もまじっていた。ある話によると、榎本が最初房に入れられるや否や、 その房の牢名主が傲然として榎本に罪状披露を要求し、彼に向ってしゃばにいたときどんな悪事をしたか、名を名のれと 怒鳴ったので、榎本は「己は箱館戦争の榎本じゃ」というと、一同大いに驚いて平伏し、それからは榎本を牢名主とし、 その晩から榎本の肩や腰をもむやら、食事の世話をするやらして、お蔭で彼は獄中で楽をしたということである。 》  415-416頁

   「27章 奇(キューリオ)の人類学」で著者は内田魯庵について今までになく熱い口調で語る。その一部。

《 結論から先に言おう。近代日本で比較文化などということをまともに扱った人物は内田魯庵と人類学の創始者坪井正五郎 しかいない。
  西洋史東洋史、美術史、国史民俗学、社会科学、音楽史哲学史、どれをとってもそれらの分野は専門的細部化を たどってきただけであるから、今日、比較などということを口にする資格もない。 》 439頁下段

《 「蒐集学といふ講座は大学にも無く、蒐集学講義録といふものもマダ何処からも発行されていない」と魯庵は言う。 》  442頁下段

《 先見の明とは魯庵のこの視点をいうのだろう。この文章が書かれた頃、こんなことを公言していた文人、学者はいなかった はずである。明治の魯庵と大正の魯庵の違いはこの一点を言い当てたところにある。 》 443頁下段

 「その一点」とは以下の文のこと。

《 最も透明な科学的頭脳から見れば、世界に蓄積を値ひしない廃物といふ物は無いのだ。どんな廃物の中からでも人間の 生活を豊かにする何物かを発見出来るので、世界に真の廃物といふものは元来無いのだ。 》 443頁下段

《 人類学が野蛮人の芸術を領分として扱ってきたというのは大勢においては今日まで続いている状態である。淡島寒月魯庵のような目利きが人類学の対象としても芸術としても見る眼を養っていたと、今でも言いうるのである。 》 451頁上段

《 小説論を中心とした文学論から顧みられた魯庵はやや不利な立場が続いてきたが、文化に向かって開かれた建築論などの テキストの作者として、文化研究の展望を開いた人物として今後は熱い視線を浴びはじめるにちがいない。 》 451頁

《 一畳敷の叙述に入る前に、魯庵は沼津の三味線屋の隠宅にあった奇妙に面白い工夫が凝らされた建物について論じている。 》  453頁下段

 これは気になる。空襲で焼けてしまっただろうが。

 ネットの見聞。

《 池澤夏樹 編『日本文学全集 29 近現代詩歌』河出書房 》
 https://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%A9%A9%E6%AD%8C-%E6%B1%A0%E6%BE%A4%E5%A4%8F%E6%A8%B9-%E5%80%8B%E4%BA%BA%E7%B7%A8%E9%9B%86-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%85%A8%E9%9B%8629-%E8%A9%A9/dp/4309728995

 池澤夏樹 選の詩では大岡信の「地名論」と「あかつき葉っぱが生きている」の二編が採録。未知の作家。詩では「北村初雄 日輪」 「原條あき子 娼婦 2」。穂村弘 選の短歌では「石川信雄(信夫)」。小澤實 選の俳句では「井月」「増田龍雨」。気になる。

《 まもなく跡形もなく消えてしまう風景。壺屋から開南地区は戦後復興の出発の地だった。たくましく生きてきた住民の 証左というべき建物があった。文化財といえるのではないか。 》 仲村清司
 https://twitter.com/namcle/status/778813475812278272

 ちょっと沖縄へ……。

《 芸術祭とかトリエンナーレとかが増えすぎには同感だけど、自治体が芸術家を使い走りに使っているというよりは、 芸術家の親玉が地域活性化というネタで予算を引き出し、手下となる芸術家とお祭り騒ぎやっているという側面も・・・。 》  木下斉
 https://twitter.com/shoutengai/status/779187322851987460

《 何度もいうけど、そもそも人寄せしても、地元資本企業が儲け出せるような構造でない限りは、社会コストが増加するだけで 地域活性化になるとは限らないというシビアな現実もある。つまり増加しすぎた芸術祭は芸術なのかどうかさえ怪しく、 また地域活性化にも寄与しないというところもあるのよ。 》 木下斉
 https://twitter.com/shoutengai/status/779187519652888576

 ネットの拾いもの。

《 こんなギャグを言ってもいいほど、小泉喜美子さんの逝去(1985年)も歴史上の出来事になったんだ。では私も安心して、 「ミステリ界の悪臭を絶つ小泉キムコ」。 》 新保博久
 https://twitter.com/oldmanincorner/status/778209614206676992

《 #豊洲の地下の秘密 》 ちょっかつ023
 https://twitter.com/tokukei0345/status/779504291383877632