『内田魯庵山脈』其の七

《 魯庵の批判は、図書館、博物館が、さまざまなコレクションの総体からなっていないという成立の根本理念を 衝いていて鋭い。今日ではこのコレクション嫌いは大学図書館の書物嫌いという形で各所に表れている。 》 475頁下段

《 美術館などという空間消費量の多い媒体よりもCD-ROMにでも収めればよいという考え方も成り立つだろうが、 情報と芸術は空間の中で持つ意味は違うはずである。 》 477頁上段

《 つまり魯庵は、芸術絵画と複製技術としてのポスターを混同してはいけないという視点に立っているのである。その点で 魯庵ベンヤミンの複製芸術論を先取りしているのである。魯庵は来るべき美術を語る知について予見していた幻視者であった といえる。 》 480-481頁

《 新しさや若さはその挑発性のゆえに守りに入った世代・年代の人々から文化の危機と見做されるされることが多かった。 つまち文化の危機と受け止められる要素の中に、歴史の活力と伝統文化の中に潜む規範を越えていくものの結合の形を魯庵は 見抜いたのである。魯庵はこの立場を息子の巌にも適用して放任主義をとったのだが、それが幸いしたか否かはまた別の問題に 属する。 》 504頁下段

 先の頁のくだりが浮かぶ。

《 戦後、藤田嗣治を戦犯として激しく糾弾し藤田をそて日本を去らしめたのは、日本共産党に入党した魯庵の息子内田巌であった。  》 463頁

《 魯庵は本来日本の芸術の研究的基礎がないと言う。婦人解放運動の底の浅さを魯庵は言っているのであるが、それは今日に ついても同断である。 》 511頁下段

《 しかし社会の反撥は先覚者が常に支払う名誉税である。 》 514頁

《 結局魯庵の西欧のイメージが明治以来の西欧の知識の吸収=教養の形成にとらわれていたという事実と無関係ではなかろう。
  このあたり私は、限りなく私を魅了してやまない魯庵に対して反逆しつつある気がしないでもない。私もそろそろ魯庵の 不思議の国から巣立ちするべき時が来たのを感ずる。 》 521頁上段

 午後、境川を最終チェック。狩野川の接続部まで自転車で行き、遡る道を頭に叩き込む。川筋の右を歩いたり左を歩いたり。 あるときは田んぼのあぜ道を歩く。国道一号線、旧東海道までは決まった。帰りがけにネットゲリラ氏のお宅を訪ね、依頼された 案件の情報を伝える。調べてみる、と乗り気。そんなことより、焼きものだ、と作りかけの急須を見せて薀蓄を披露される。
 http://my.shadowcity.jp/2016/09/-2500-3781.html

 ネットの見聞。

《 アートと地方の危険な関係〜「アートフェス」はいつまで続くのか? 》 貞包 英之
 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49691

《 裁判官らの判断の根拠はどこにあるのか全く不明だ。国がほかの移転先を真剣に検証したのか。代替施設が必ず必要なのか。 様々な意見や資料に当たることなく導き出した判決は、裁判官個人の持論でしかなく客観性に欠ける。 プロの書く判決ではない。 》 岡口基一
 https://twitter.com/okaguchik/status/779632629494624257

《「西洋の技術に東洋の道徳」みたいなことを理想に掲げたのは佐久間象山だったか横井小楠だったか忘れたが、 産業革命をアジアで唯一なしとげた日本には、思想と哲学と道徳が欠けていた。その大きなツケが戦前、戦後、現在と 回り回っている。 》 高橋正明
 https://twitter.com/buzzmeak/status/779347131492511745

 ネットの拾いもの。

《 身寄りの無い人が入るお墓を「一人墓地(ひとりぼち)」と言うそうです。あんまり深く考え過ぎないようにしましょう。 ご参考までに。 》 坊主
 https://twitter.com/bozu_108/status/779538015613964288