『レベッカ』

 ダフネ・デュ・モーリアレベッカ』河出書房世界文学全集1964年16版を読んだ。セキセイインコのチビの急死に 気力が萎えていた時、本棚から何の理由もなくこれを取り出した。26日に引用した一文は『レベッカ』から。 状況があまりに似ていた。それからの展開は、普段の自分を取り戻すためにあるようだった。驚いた。

《 「なんとなく仮装をしたいという欲望は、人類の一般的な本能じゃないでしょうかね」 》 第二十一章

 ハロウィーン。それにしても一九三八年、女史三十一歳の作とは。
 月報の執筆者が植草甚一中田耕治そして都筑道夫でそれぞれ読み応えがある。

《 こうしたタイプの物語形式をゴシック・ロマンといい、二十世紀ではデンマークの女流作家アイザック・ ディネセンの作品が有名であるが、 》 植草甚一

《 このときまさに風景までが言葉なき言葉で過去を物語っているのです。/ いってみれば、そんなところに 女史のロマンス・サスペンスの秘密があるのではないでしょうか。 》 中田耕治

《 おもしろいことに、ウールリッチの作品とデュ・モーリアの作品、ことに前にふれた『鳥』などと読みくらべてみますと、 男性のウールリッチの作品のほうに、女性的な甘さがあって、女性のデュ・モーリアの作品のほうは、男性的な激しさ といったものが、感じられます。 》 都筑道夫

 昼前、長野県松本市からの視察二十人ほどを、源兵衛川などへ案内。カワセミが川面に突き出た枝に止まっている。 みなさん、間近で見られてごきげん。一時間半ゆっくり歩いて三嶋大社駐車場へ正午に到着。喜ばれたようでよかった。

 案内していて目に入った(見落としていた)源兵衛川と三島梅花藻の里のヒメツルソバを午後抜く。高い場所は 近くの知人から脚立を借りて抜く。一時間で土のう袋軽く一袋。やれやれ。一汗。

 昭和の時代、三十代の私は老後の生活を想像した。仕事を引退した後にすることは音楽を聴き、本を読むこと。 それで一日がほぼ費やされる。そんな生活を思い描いた。それは楽しいか? 楽しかねえだろうな、と思った。 先人たちの暮らしぶりを本などで知ると、遠方の友と手紙を遣り取りしたり、書いた雑文が掲載された同人誌を 多くの人に見境なく送りつけ、返辞がないと憤慨したり落ち込んだり。退職前の職業上の地位(役職)意識が抜けず、 周囲から孤立してゆく老人たち。あ〜やだ、あんなふうにはなりたくない、どうしたらいいのかな、と考え込んだ、少し。 しかし、時代は変わる。今世紀、パソコンを手にして繋がる世間は想像の外へ広がった。嬉しい予想外れだ。いやあ、 半分降りた人生でこれほどに広い視野を見渡すことができるようになるとは。眼福耳福。そして源兵衛川から三島市を 面白くしていこうという私的小プロジェクトは、これからもずっと続く。続けないと元の木阿弥になる。わ、楽しい。 こうして六十五歳は過ぎてゆく。

 ネットの拾いもの。

《 ハロウィンですな。
  まあ、せっかくなんで、熟年サラリーマンのコスプレしてますけどね(…仕事着や) 》 デーモンまぐれ
 https://twitter.com/Demonmagure/status/792948559838523392