『現代絵画入門』

 山梨俊夫『現代絵画入門』中公新書1999年初版を再読。副題「二十世紀美術をどう読み解くか」。初読の時とは 違った箇所に付箋が貼られた。

《 呼びこまれた材料は、「絵画」に従属することから、それ自体が徐々にあらわになって、従属の関係を逆転させる。 物ひとつひとつが集まることで、もうひとつ別の物、新たな「絵画」をつくりだす。 》 68頁

《 絵画や彫刻といった形式も拡大され、その境界は溶けかかっている。 》 101頁

 上記の文章に白砂勝敏氏の石、板、鉄、セメント等で作られた新作(立体絵画、レリーフというのか)を連想。 画像はまだない。
 http://shirasuna-k.com/

《 だが一方で画家たちは、あるいはもっと広く、現実にくるまれてぬくぬくできる鈍さを振り捨てたほどの人々は、 現実の外側に信じられる価値を探していたことも確かだ。それはしかし、あらかじめ存在していたり、与えられたり するものではなくなっていた。自らを恃(たの)んで見つけだすほかはない。そして見つけたと思っても、 その個別的なものには何の保証もない。不安と孤独はいつまでもついて回る。そんな内心の状態が、外面は無表情で あったり騒々しかったりする現実の表皮を剥いだときにのぞかれる現実の真皮に映る。 》 128頁

《 そして、美についての異質の規準をもちこんで美術が生まれる場を撹拌して文脈を組み換えていくこと。 》  130頁

 椹木野衣『後美術論』美術出版社2015年は、その一例だ。

《 画家が外に向けて自己をどう発揮していくかといった実践行為が絵画であり、美術であるという回路が できあがっていく。その実践の結果に残される残存物が「作品」と呼ばれることになる。こうした方向での、美術概念、 絵画概念の拡大もまた、二十世紀の特質であり、われわれはいまだ新たに適切な言葉をもたないために、そうした行為と 「作品」の全体を相変わらず絵画とか美術と呼びつづけながらもどかしい思いをしている。 》 218

 本は再読を求める、とつくづく感じた。

 昨日の毎日新聞「今週の本棚」、『藤田嗣治 妻とみへの手紙』人文書院への加藤陽子の評から。

《 パリの藤田の意外な生真面目さは、ピカソを「脳髄ばかりで生きているような人」と鋭く捉えた、後年のエッセイ (「現代大家」)の与える印象と一致する。 》

 ピカソの絵を「ストラグル struggle あがき」と評しているのは、私。同じように見ている人がいた。

 ネットの見聞。
《 『あらしの白ばと 第二部・悪魔の家の巻』 予約停止中。販売開始までお待ちください。 》 書肆盛林堂
 http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca1/271/p-r-s/

 予想どおり。昨日午後五時、予約受付開始を待って送信。無事予約できた。

《 思わず笑う写真ばかり おもしろ生き物写真コンテスト 》 ねとらぼ生物部
 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1611/12/news033.html

《 東京都が、この方々に対して、別の公園での生活を打診してきたそうだ。 》 山本太郎
 http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12219032848.html

《 現実がどうなろうと納得がゆかないことには「納得がゆかない」と言い続けること、「理不尽な現実」は それが現実化したからというだけの理由で承認しないこと。諦めの悪さ、いさぎの悪さこそ今必要なのだ、 というのが本日の合意事項のひとつでした。 》 内田樹
 https://twitter.com/levinassien/status/797812171027582976

《 権力は合理的な目的なしに行使される時に最も権力的になります。安倍首相が政治的に無意味なTPP採決を あえて急がせたのは、それに「意味がない」からです。「全く意味のないこと」の実行命令に「手下たち」が 誰も逆らわない時、権力者は深い全能感を覚えます。 》 内田樹
 https://twitter.com/levinassien/status/797949148599185408

 ネットの拾いもの。
《 SG体型(=スーパーガッカリ体型) 》