「アフリカの東岸と西岸」

 一昨日話題の『 Taarab 』。タンザニアザンジバル島の演奏にマレーシアのムラユー音楽との交響を感じた。 インド洋の東西だ。昔から海の航路で交易があっただろう。対してアフリカ西岸のセネガル。先月16日に話題の オーケストラ・バオバブ Orchestra Baobab はセネガルのバンド。彼らの演奏には大西洋をはさんだ向こう側、キューバの 音楽との親近性を感じる。昔はアフリカ大陸を横断するのに陸路よりも海路のほうが進んでいただろう。印象で語れば、 インド洋はゆったりとした波が砂浜を洗う。大西洋はさざなみが岸辺に打ち寄せる。また、オン・ビートとオフ・ビートの 違いかもしれない。キューバのバンド、セステート・アバネーロ Sexteto Habanero を聴くとそんな感じ。1920年代には 演奏スタイルが完成していた。
 https://www.youtube.com/watch?v=6O18RkCQwRM
 https://www.youtube.com/watch?v=td155Ww7MHo

 先月7日のブログに引用した相倉久人のことばがふと浮かぶ。

《 「耳で聞いて、頭で数えようとするからダメなんだよ。腰で聴いて、からだ全体でのらなくちゃ」 》

 朝、NHKテレビ『さわやか自然百景』「富士山 三島溶岩流」を視聴後自転車で松毛川(灰塚川)へ。竹林の伐採作業に参加。 ついに川が見えた。
 昼前、源兵衛川岸の知人の庭のヒメツルソバを抜く。これで見てしまったものは全部に抜いた。しかし、まだあるまだある、 となることはわかっている。でも、数年前とはえらい違いだ。
 昼食後、擦り切れてしまった敷布団シーツをイトーヨーカドー三島店ヘ買いに行く。本屋へ寄り道。うわあ、欲しい本が。 いかんいかん。今月は買い過ぎ。三千円を超える本が近々三冊届く。

 中村雄二郎『かたちのオディッセイ』岩波書店1991年初版を読み進める。問題の焦点は定まっているが、そこへの照射の位置が 多岐に渡っていて、そこまでは視野になかった、という発見と驚きと戸惑いが興奮を伴って押し寄せる。多くの付箋から少し。

《 まことに色というのは、対象相互の間でも、また主観と客観の間でも、関係的なものなのだ。 》 「第9章 色の世界」 100頁

《 まずはじめに、私があらかじめ予想したことではあるが、予想をはるかに越えてはっきりしたのは、螺旋あるいは渦巻き という現象の遍在性である。 》 「第10章 迷宮と原型」140頁

《 そして、ここまでくると、輪郭というものが世界や存在の意味的な分割や分節化という大きな問題につながることが はっきりする。すなわち、切れ目や裂け目をもたぬ、アモルフで混沌とした原初的な世界や存在は、人間のまなざしが設ける さまざまな境界線や識別線によって分割され、分節化されて、有意味的な全体的存在秩序(コスモス)や事物を形づくるという、 大きな問題である。だから、輪郭というのは、広くはコスモスの問題でもあり、存在の分割の問題でもあるのだ。 》  「第11章 幾何学と混沌」161頁

《 しかし、そこで〈カオス〉といわれているものは、ランダム(不規則、でたらめ)にまでは至らない、一見不規則な複雑さ のことであり、あくまでそれを捉える科学的方法の秩序(オーダー、コスモス)と相関的であり、対応している。 》  「第11章 幾何学と混沌」169頁

 この一節を読んで、長年わだかまっていたカオスの意味が、私と科学者との間で違っていたことが解明され、解消された。 私は、カオスをランダムと捉えていた。そりゃ違うわ。

 ネットの見聞。

《 ミステリの叙述トリックは、「嘘をつかずに騙す」手法を洗練させたものですが、これは別にミステリ作家の専売特許 というわけではありません。政府の発表でも、マスメディアの報道でも、ごく普通に行われていることです。情報の受け手は、 与えられた情報だけからの判断は危険だと知るべきです。 》 安眠練炭
 https://twitter.com/aNmiNreNtaN/status/799762844967280640

《 日本国民は過剰に楽観的なマスコミ報道に騙されている 》 マネーボイス
 http://www.mag2.com/p/money/26965/2

   ネットの拾いもの。

《 『このあと彼を待ち受けていたのは数奇な運命だった』……数奇になったひと 》 いかふえ
 https://twitter.com/ikafue/status/799955486422335489