『加藤周一著作集5 日本文学史序説 下』一

 昨夜、CD『 UMALALI 』オフィス・サンビーニャを贈った現代美術家大坪美穂さんからとても気に入ったとの電話。よかった。 明日からの企画展の準備に追われているなかで、とてもいい、と。「お返事は要りません」と書いて贈ったけど、うれしい。
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 午後、「やまだひろなが作陶展」へ。売り子のお手伝い。

 『加藤周一著作集5 日本文学史序説 下』平凡社1980年初版 「第八章 町人の時代」を読んだ。

《 総じて一八世紀前半における西洋の影響は、主として中国語を通じ、特殊な技術的分野にかぎられ、同時代の知識人の世界観に 挑戦するものではなかった。時代の代表的な思想家は、後述する石田梅岩も、富永仲基も、おそらく安藤昌益さえも、ほとんど全く 西洋文化の存在を意識していなかった。 》 92頁

《 富永仲基は、同時代の「イデオロギー」の批判に徹底していたが、社会制度の批判者ではなかった。ひとり安藤昌益は、儒・仏・ 『記』『紀』神話をしりぞけて、独特の自然哲学を主張したばかりでなく、徳川体制に真向うから反対した一八世紀(および以前) におけるほとんど唯一の思想家であった。 》 116-117頁

《 「四七士」の人気は、日本人が目的を問わずに団結し得る能力を備えているかぎり、無限に続くはずであろう。偉大な人形劇、 『忠臣蔵』が劃期的であったのは、それが「忠義」の劇だったからでは決してなく、団結の、集団所属感の、つまるところ日本社会の 基本的構造の、見事に集中的な表現であったからである。 》 141-142頁

《 おそらく空海の『十住心論』以来、日本の思想家の著作で、抽象的な概念的秩序の構成が『玄語』ほどの完成度に達したものは、 他にない。(三浦)梅園が日本文学に加えた「美」は、実にその自然哲学的概念の建築的な美しさであった、といえるかもしれない。 》  161頁

《 (本居)宣長は、自己および周囲の人の「まことの心のおく」をみて、それを『古事記』のなかに見出したから、『古事記』を 信じたので、『古事記』を研究したから、自他の「心のおく」を洞察したのではない。彼が「大和心」と称んだ土着の精神の構造は、 すでに古代文献にあらわれ、また彼自身および彼が接触した同時代の大衆の「心のおく」にもあった。 》 173-174頁

《  しき島のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花  上田秋成  》 188頁

《 宣長は下手な歌をむやみに沢山作ったが、秋成は見事な短篇小説集二冊を編んだ。 》 189頁

《 日本文学が生みだしえた笑いの質は、およそ一八世紀末には出つくしていたようにみえる。けだしその後のいかなる時代にも、 文化の様式の基本的な要素として、諧謔がそのときほど重きをなしたことは、ついの今日までなかった。 》 217頁

  ネット、いろいろ。

《 原子力規制委員会臨時会、終了。帰宅する。聞けば聞くほど、放射性廃棄物の埋設処分に関する審査基準策定は難しい。 》  春橋哲史
 https://twitter.com/haruhasiSF/status/837209365442502656

《 米経済学者J・ベッセンがビル・ゲイツに反論「自動化が全ての雇用を奪う訳ではない」 》 ROBOTEER
 https://roboteer-tokyo.com/archives/8020?utm_content=buffer7144c&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

《 「日本人はウソをつきません」
  「もうウソじゃねえか」 》 総統
 https://twitter.com/soutou_d/status/837231512491716608

《 「アッキード事件」 》