『四方対象』四

 グレアム・ハーマン『四方対象  オブジェクト指向存在論入門』人文書院2017年初版を少し読んだ。

《 この無慈悲で大胆な議論とは対照的に、実在論への訴えは、どんなものであれ、退屈なブルジョワによる反動的で興ざめな振る舞いのような印象を与えがちである。  》 「第四章 さらにハイデガーについて」 97-98頁

 つづく論述は、埴谷雄高の長編小説『死霊』に親しんできた身にはじつに心強いもの。長年抱いてきたもやもやした思いがやっと消えてゆく。

《 選択肢は、何かについて語るか語らないかの二択だけではない。私たちは皆、あまり多くを語らずとも事物について語る方法を知っている。そう、事物を暗示する (allude)ことである。暗示は語る場合だけでなく思考においても生じる。「思考の外にある木」と言うことは、思考についての成功した言明でも、事物についての 失敗した言明でもない。この言明は、実在的であるかもしれないが完全には現前しえない何かに対する暗示なのである。そしてまさにこのことが、哲学が フィロソフィア──知そのものというよりもむしろ知を愛すること──である理由なのだ。哲学が思考についての知であることを〈アクセスの哲学〉が望むのは、 実際には哲学が思考の彼方にあるものの知への愛であるからなのである。 》 「第四章 さらにハイデガーについて」 109頁

 この章の「D 道具存在の実在論」は、心に沁みた。表現し得ないものを表現しようと試みるのが芸術の営為だと思う。味戸ケイコさんはそれを無意識的に試み、 北一明は自覚して挑戦した。それらの作品は、そのモノに収まりきれない、そのモノからはみ出す何かがある。それは逸脱とも超越とも超脱とも呼ばれるものかも。

 今朝は午前五時三一分マイナス3.6℃。九時でやっと0.1℃。
 昼前、地元テレビ局の取材。源兵衛川水の苑緑地の橋でインタビューを受ける。曇天。寒い〜わ。
 昼、いい話、悪い話(訃報)が届く。洗濯物は乾かない。
 午後、知人の車に三人が同乗、静岡市のギャラリーでの白砂勝敏展オープニング・パーティへ。
 http://kinza-botanica.com/event#no_910

 ネット、いろいろ。

《 「こんな寒い日にわざわざ古本買いにくる私みたいな客はキチ◎イだと思うでしょう?」「いえ、ありがたいですよ〜」「でも思うでしょ、キチ◎イって」 「いえいえ〜」「でも少しは思いますよね?」なんでそんなに言わせたいんですか!! 》 古書現世
 https://twitter.com/wamezo/status/957153532158795777

《  私にも弁護士の友人はいますよ。地元に。
  その上でお尋ねします。
  日弁連さん、
  籠池夫妻の6ヵ月にわたる長期勾留は、法の支配や法治国家の名に値するものと言えますか?
  あまりにも可哀そうじゃあありませんか?
  日弁連としてできることは無いのですか?
  声明を出すこともできると思いますが・・・。 》 けん
 https://twitter.com/KSN1HybmjjiCMoQ/status/956061346688393217

《 『日本のお米が消える』だけではない重大な危機 》 植草一秀
 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-4d7b.html

《 海における食物連鎖の頂点に位置すると思われていたサメにも意外な天敵がいた。シャーク取り虫である。 》 いかふえ
 https://twitter.com/ikafue/status/957186281896685570