知識・経験・直観

 谷沢永一「百言百話」中公新書から。脇本楽之軒(らくしけん)「日本美術随想」の一節。
「鑑賞の立場からいえば、芸術は全く個人的な我れというものを標準として、その芸術的価値を問うわけで、全然他人の容喙をゆるさない。芸術が自己以上を語り得ない如く、鑑賞も自己以上に出で得ない」
 脇本楽之軒は畏敬の念をもって岡倉天心を想起するという。岡倉天心は日本美術と西洋美術の本質的な違いを理解していた。その違いとは。「百言百話」には伊藤整「近代日本における<愛>の虚偽」が紹介されている。谷沢は書いている。
伊藤整は『愛』という言葉が単なる『翻訳語』に過ぎず、日本の社会では実質を持たぬ『虚偽』でしかあり得ない実情を、最初に完膚なきまで分析した優秀な思想家」
 伊藤の論は岩波文庫「近代日本人の発想の諸形式」に収録されているので読んでみた。
「明治以来、我々が取り入れた西洋文学の恋愛の思想は、このようなキリスト教の宗教生活の中でのみ実践性があるものである。それを我々はその実践性、願望や祈りや懺悔などを抜きにして、形の上でのみ、疑うべからざる最も合理的で道徳的な人類の秩序の考え方として受け容れている。」
「『愛』という翻訳言葉を輸入し、それによって男女の間の恋を描き、説明し、証明しようとしたことが、どのような無理、空転、虚偽をもたらしたかは、私が最大限に譲歩しても疑うことができない。」
「我々にとって男女の愛は、恋である。」
 「愛してる」はウソ臭い。本気の時は「好き」を使うが、説得力が……。
 日本と西洋の本質的相違は、多神教に根ざす日本的心性と一神教に根ざす西洋(それにイスラム)的心性にあるのだろう。その違いを常に認識・自覚しないと、齟齬・摩擦の原因になる。八百万の神の文化に一神教の文明を乗せた日本は、やはり世界で特異な位置にある。

 脇本楽之軒は「偽の権威や浮薄な輿論に追随的な」「聞きかじりのあやふやな知識」を蔑む。心しなくては。美術鑑賞には「知識・経験・直観」が重要。この三要素を実質あるものにした人が、岡倉天心その人だった。それにしても直観、これが難しい。第一印象の直感とはわけが違う。

 ブックオフ長泉店で二冊。きのゆり・詩/永田萠・絵「一輪ざしのバラード」サンリオ1981年初版、ジョン・ブロックマン編「2000年間で最大の発明は何か」草思社2000年初版、計210円。