夜の思索者

 神奈川県立近代文学館で「埴谷雄高『死霊』展」が催されている。「死霊」は「しれい」と読む。昨日話題にした福永武彦「夜の三部作」と同時代に書き続けられていた小説だ。夜が同じように重要な位置を占めるけれども、内容の深さと広がりは「死霊」のほうが桁違いに大きい。これまた再読予定の本だ。深夜の思索者たちが交わす哲学論議がじつにスリリング。
 講談社文芸文庫「死霊 II 」2003年の鶴見俊輔の解説が凄い。

 ヘルマン・ブロッホの『ヴェルギリウスの死』は、これをおそらく埴谷は読んでいないと思われるが、同時代の体験を共有するという点で、『死霊』と親しい。(略)他にも埴谷の読まなかった作品との親縁関係をたどるなら、『死霊』は南アメリカボルヘス、さらには マルケスと近しい関係にあり、決して世界の文学史で孤立する仕事ではない。

  埴谷雄高の文学を考えることは、世界文学の中で、日本文学を考えることである。
  直接にお互いの作品を知ることを越えて、紫式部マルセル・プルースト世阿弥─アーサー・ウェイリー、W・B・イェイツ、ベルトルト・ブレヒト立川流マルキ・ド・サド井原西鶴埴谷雄高。そのさまざまの組が見える。埴谷死後の現在について言えば、松尾芭蕉─オクタヴィオ・パス、大岡信谷川俊太郎という流れも見える。

 ブックオフ長泉店で二冊。大山誠一郎「アルファベット・パズラーズ」東京創元社2004年初版帯付、丸谷才一「ゴシップ的日本語論」文藝春秋2004年初版帯付、計210円。