ガラーリ

 「ガラーリ」
 の一行で始まるのは幸田露伴の短篇「鵞鳥」。昭和十四年露伴七十二歳の作。二行目は、
「格子の開(あ)く音がした。茶の間にいた細君は、」云々と続く。途中にこんな一文。
「格子戸は一つ格子戸である。しかし明ける音は人々で異なる。」
 これに10日に記した「アンナ・カレーニナ」の冒頭の一文が重なった。影響を勝手に想像するのも、読書の愉しみのひとつ。
「貧乏神に執念く取憑かれたあげくが死神にまで憑かれたと思ったほどに浮世の苦酸を嘗めた男」
「善意の奨励だ。赤剥きに剥いて言えば、世間に善意の奨励ほどウソのものは無い。悪意の非難がウソなら、善意の奨励もウソである。真実は意の無いところに在る。」
 なんとも鋭い言葉だ。

 ブックオフ長泉店で文春文庫の小林信彦を二冊。「<超>読書法」1999年初版、「読書中毒」2000年初版、計210円。
 後者には「プルーストをどう読むか?」がある。昨日記したように、私は「失われた時を求めて」は所持していない。中里介山大菩薩峠」同様、本を買うことさえたじろいでしまう。以前、ブックオフの105円棚に文庫本の「大菩薩峠」全巻が並んでいて、教えた知人が喜んで買った。私が読んだ一番長い小説は野間宏「青年の環」全五冊だ。河出書房の単行本で読んだ。話を戻して、この章では「失われた時を求めて」も読み方を教示している。芸術家小説や形而上学的小説としてはなく、「日々の平凡なドラマを生きる人々が大勢登場する文字通りの風俗小説」として読むことを薦めている。また、「『失われた時を求めて』を読み通す方法」では「とばし読み」を薦めている。
「『スワンの恋』や『花咲く乙女たち』は適当にとばして、『ゲルマント公爵夫人』からじっくり読むことになる。」