池谷茂章展最終日・パスティーシュ

 朝、小雨。でも自転車で来る。富士山は白雪の帽子をかぶったよう。開館前に来館者。賑やか。就学前の女の子たちが、池谷氏制作の亀や蛙の置物を持ち運んで遊んでいる。そういえば、家庭内置物とは中年オヤジのことらしい。

 昨日読了した綾辻行人・編「贈る物語 Mystry 九つの謎宮」光文社文庫山田風太郎「黄色い下宿人」の解題で綾辻パスティーシュについて書いている。

「『主題や技法を他の作品から大幅に借用した作品』というのが『パスティーシュ』の辞書的な意味ですが、ミステリー史上最もたくさんのそれが生産されてきたのは、やはりホームズ物でしょう。」

「これは僕の個人的な考えなのですが、パスティーシュ作品の良し悪しを測る基準は、大きく云って二つあるのではないかと思います。」

「一つは先行作品に対する敬意がどれほど払われているか。いま一つは、ある先行作品のパスティーシュという形を取るからこそ可能な創意工夫の有無あるいは程度、です。」

 寡聞にして、美術分野でパスティーシュという言葉を聞いたことがない。聞こえるのはパロディばかり。無知を晒してしまうな。パスティーシュ PASTICHE は、美術分野でも上記綾辻行人の定義・基準が当てはまると思う。ホームズに匹敵するのはモナリザか。美術におけるパスティーシュで一本の論文が書けるなあ。

 山田風太郎は美術に造詣が深かったようだ。初期の作品のどれだったか忘失したけれど、河鍋暁斎の絵で人を引き込むものがあったが、「黄色い下宿人」では、黄色い下宿人=日本人(夏目漱石)がホームズに、殺人事件の真相への自らの解釈を述べるくだり。

「それはね、大胆な想像で気がひけますが、ギブスン氏がひっこしてきたとき、荷物のなかにあのゲーンス・ボローの婦人像があるのをちらとみたのですよ。ところがあの絵にあの額ぶちはぜんぜん似合わない。むろん私は絵の専門家じゃないが、それにしても、ギブスンという人は絵にはまったく無関心な人だなと感じたことをいまでもおぼえています。」

 狂斎で連想。「『齋(斎)サイ/イハフ』と『齊(斉)セイ/ヒトシ』は音も意味も違ふ」。