明日臨時休館します

 明日臨時休館します。雨上がりのきょうは風が強く気温が上がる。窓を少し開ける。春風がスーッと入ってくる。ワイシャツ一枚になる──寒い。カーディガンをまた羽織る。

 D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』(羽矢謙一・訳)を読んだ。じつに興味深い小説だ。1928年、昭和初期の発表だけれども、現在の日本を予言した小説のようでもある。

《芸術家とは自分を宣伝し、自分の商品を売りこもうと必死になるものだということを知っていた。》

《性とは、じつはすべてのふれあいのうちでいちばん密接なふれあいにすぎんのだ。ところが、そのふれあいを、ぼくらはこわがっている。》

《このごろは、女のほうが男よりずっとさかんにしゃべり、ずっと男性的自信にあふれている。男は元気がなく、なにかしら滅亡の影を感じていて、まるで、なんにもすることがないかのように、ぶらぶらしている。》

《若い連中の生活はすべてかねを使うことにかかっているのに、使おうにもかねがないのだ。》

《いまのままの情況がつづいていったら、こういう産業大衆にとって、未来によこたわるものは死と破壊だけだ。》

 この小説を最初に訳して猥褻裁判沙汰になった伊藤整の小説『変容』岩波書店1968年初刊へ連想が働いた。二十三歳のチャタレイ夫人コンスタンスと『変容』の語り手の還暦を迎える男性画家とは、立場がえらく違うけれども、性と生を巡って物語が進むことには違いが無い。

《六十歳というものは、もっと神聖な年齢の筈だった、と私はひやりとしながら考えていた。》262頁

《私自身が還暦に近くなって、人間の気持ちとそれを現わす言葉が、ほとんど化けもののように、正体の分からぬものだということに気がついている。》267頁

《白髪が衰弱でなく熟成のしるしに見えるのは、その人間の表情、それも主として目の力によるが、本当は仕事のせいである。》270頁

 こんな語りにも、『チャタレイ夫人の恋人』の四十年後の残影を感じる。

《そして四十年に近い年月が経ってから、夫を喪い、弟を喪い、その愛人を喪って、しかもなお老いた女の形を美しく保っていた咲子が、二夜をかけてその生涯を語るのを聞き、女としての彼女に触れることができた。》140頁