山口謡司『ん 日本語最後の謎に挑む』新潮新書2010年2刷を読んだ。「ん」の発明までの四苦八苦。大変だったなあ。

《 言語の歴史は、思想の潮流と無関係ではない。平安時代の仏教思想の歴史は、同時に日本人がどのように日本語を自在に使って自らの思想を表現し、救済を押し広めていくかということでもあった。 》93頁

《 そのなかでも「ん(ン)」は、庶民へと広がっていく仏教思想の大きなうねりの中で生みだされたものだったのである。 》93頁

《 平安時代までは書くことさえできなかった「ん」は、それから約六百年後の江戸時代にはこうした遊びに取り入れられるようになるまで、日本語には不可欠の音と表記となって現れてきていた。 》129頁

《 しかし、やはり「ン」は、撥ねる音を示すための記号を書こうとして、いろいろと試された形であった結果「レ」から「ン」の形に定着したと考えた方が常識的であろう。 》158頁

《 「セミセミ」と鳴いたから「蝉」と名づけたか、それとも「蝉」の漢音「セム」が「セミ」となったかは、語源史の上ではいまだに明らかにされていない。 》150頁

 ネットのうなずき。

《 米軍の原爆投下目標は、北九州・小倉であったという。小倉上空が曇天だっため、急きょ長崎に変更した。広島投下からわずか3日、その惨状の確認もせずに第二弾を投下している。さらに次の目標も決まっていたという。親父が生前いつも言っていた。「同じ白人種ならこんな酷い事をしただろうか」と。 》 丸山天寿